食糧難対策として、戦後各地で汽水湖や内湾の埋め立てと周辺水域の淡水化が進みました。児島湾、八郎潟、霞ヶ浦など。その後、減反対策が進み干拓の意義が薄れた頃に、大型公共工事を中止するかどうかで大問題になったのが、諫早と中海でした。 1990年代後半…
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。