研究者の品格

西條八束先生のお通夜に参加させていただき、その後、西條研究室出身の先生方と飲みに行って、在りし日の研究室のお話をうかがっていました。陸水学会で活躍されている大学の先生方の多くが(今日のお通夜に来られた方だけでも10名以上)、西條先生のお弟子さんです。これほど研究者を輩出した研究室はそうないのではないかと思います。

先生が生前好まれていた赤ワインをいただきながら、それでも西條研出身の先生方は、こう言われました。「西條先生は研究者を育てたと言うよりは、人を育てた。」

思うに、育てたというよりは、先生の側にいるだけで育ってしまう雰囲気があったのではないでしょうか。

下記は昔、脳脊髄液減少症がひどくて研究がほとんどできず、サイエンスライターなど物書きなら寝たきりでもできるかもしれないと、練習を兼ねて匿名でブログをつけていたときの記事です。先生は、研究者というものがどのような品格を保つべきかを、体現されていました。

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名古屋大学名誉教授の西條八束先生は、陸水学と海洋学のどちらにも大きな貢献をされただけではない。とても風格のある研究者だ。決して過激な発言はされない。でも誰にも媚びることもない。多分その原因のひとつは、お父上が西條八十という有名な詩人で、「歌を忘れたカナリア」「肩たたき」などが放送されるたびに「今でも親父からお小遣い(=著作権料)が来る」と笑っておられる経済状態のせいもあるだろう。長年フィールドにされている湖には別荘をお持ちだし、退官後無職になられても、アラル海に調査に行かれたり、国際学会で発表されたりとお忙しい。

さて、その先生が「行政の委員会に参加する学者の問題点」との文章を「自然保護」誌485号に寄せられていた。それによると、今年2月27日の朝日新聞に行政による委員の選び方に関する記事が掲載されていて、「委員20名のうち行政が考えている方向に『反対』の人を2〜3人、『賛成』と『どちらでもいい』という人を3分の1づつというバランスにしたがる」とあったそうだ。長良川河口堰に関わる建設省(当時)の委員会に入っておられた先生は、この傾向は確かにあるとした上で、

「たとえそのような人選であったとしても、それぞれの専門性に立って論理的で科学的な議論が行えればよいのですが、役所と長期にわたり親しい関係にある人、特に研究費や調査費などをもらっている人は、それができないようです。」と喝破されている。

人は弱い者だ。傍目には所謂「御用学者」に見える方も、自分が御用学者的な言動をしていると認めたくはないから、無意識に正当化しているのではないだろうか。かたや西條先生の研究生活は、学園紛争に巻き込まれるなど決して平安なものではなかったけれど、研究費の為に、文部省を含む官僚との円滑な関係を維持する必要がなかったように思われる。

では、委員会はどうあるべきか。先生はまず、我々学者・専門家に「自分の専門性に忠実であることを、もっと自覚する必要があります」。そして「密室で人選するのではく、人選段階で経歴や選任理由を公開し、反対意見があれば再検討する制度に改めていく」ことを提案されている。後者はともかく、前者は学者・専門家として、当然そうあるべきことだ。しかし先生の目からはそれができていないという点、常に自戒しようと思った。