「里湖モク採り物語 50年前の水面下の世界」

これまで何冊か本をご紹介してきましたが、自分が書いたものは1冊も紹介していなかったことに、今、気づきました。
昨年、山陰地方の宍道湖・中海の研究を学生の頃からサポートしてくださっていた方々と、中海のアマモ採草漁から始まって、海草・水草が1950年代半ばまでは全国的にどれくらいあって、人々は水草・海草が繁茂する水域とどのように持続的につきあってきたのかを本にしました。下記です。

里湖(さとうみ)モク採り物語―50年前の水面下の世界

里湖(さとうみ)モク採り物語―50年前の水面下の世界

ありがたいことに、この本は今でも少しづつ売れているらしく、新たに読んで下さった方から、諏訪湖に関する私たちの記載の誤りの指摘が、出版社に届いたそうです。私たちは、諏訪湖については水草を肥料に使っていた記載を見つけることができなかったのですが、郷土資料文献の引用をつけて、諏訪湖でもされていたと指摘くださったそうです。
それによりますと、諏訪湖でも明治期にはヒロハノエビモ、イバラモ、クロモなどを採草具挟み竹(本の表紙の人が両手で持っている竹)を使って採集して、農業用肥料としていたという記載があり、条件の良いところでは50艘もの船が採藻をしていたそうです。
また、執筆時には青森県については小河原湖沼群で行っていないか知人に調べてもらったのですが、そういう記録はないようだとのことでした。しかしその後、青森県でも肥料藻採集が行われていたらしい統計資料を入手できました。
従って、「里湖モク採り物語」で扱った、東北から山陰に至るすべての湖沼で、肥料藻を介した里湖文化が存在していたことになりました。