あるべき水環境とそこへ到達するプロセスに関する合意形成が大切

私が事務局を務めて月1回開催している「湖沼生態系再生研究会(手賀沼モデル)」の第5回会合が、昨日行われました。講師のお一人は国土交通省関東地方整備局利根川下流河川事務所の二階堂義則所長で、「北千葉導水事業の概要」という演題でお話いただきました。「北千葉導水事業」については、「手賀沼の根本的な水質汚濁の原因を解決せずに、利根川の水を引き込むことによって一見きれいにしたやり方。流域の汚濁負荷を軽減し、湧水を保全涵養しながら水循環を再生することが重要」と、一部の市民団体が厳しく批判しています。
ここで見過ごされがちなのは、利根川の水は、決して「きれい」ではないのです。もしも富栄養化した水が「きれい」ではないのだとしたら、利根川の水はとんでもなく汚い。
ではその水を手賀沼に引き込んだら、なぜアオコ状態が解消したのか。理由は「流れができたから」。このことを昨日の講演では分かりやすく解説されていました。私も、その逆の状態を知っているので、「流域の汚濁負荷を軽減し、湧水を保全涵養しながら水循環を再生することが重要」とは思いますが、それが達成されるまでは、この方法もやむをえないのかな、と考えています。
「その逆の状態」というのは、陸水研の大先輩である故・西條八束先生が取り組まれていた、長良川河口堰です。堰ができるまでの長良川河口は、歩いて小石だと思って拾ったもの全てがヤマトシジミというくらい、シジミが湧くように増える場所でした(子供の頃、夏休みは父の里である多度に行って、シジミ取りに行くのが私の年中行事でした)。つまり、それだけの生産を支えるだけの栄養はあったわけです。せき止めた途端、その栄養は植物プランクトンの異常増殖と転じました。同じ事が韓国の洛東江河口堰でも起こっています。
ですので、今、北千葉導水を止めたら、手賀沼はかつてのように分厚いアオコにおおわれるでしょう。では、アオコに栄養が行かないように、水草を増やしたらどうかというと、このブログでもご紹介した琵琶湖のように、今度はその水草の処置に悩むことになります。
下流部の湖沼は、既に1930年代から、成層すると速やかに湖底の酸素がなくなるくらいは富栄養化してました。このことは、西條先生の師にあたる吉村信吉先生が、その学位論文で全国の湖沼の酸素を測っておられるので、データで示すことができます(吉村先生の著作は西條先生から山室が引き継ぎ、自然環境専攻の図書室で保管しています)。それが深刻な問題にならなかったのは、水草が生える範囲では、それを刈り取って肥料に使うことで、栄養が蓄積する状況を阻止、もしくは緩和していたからです。ですので、生活様式が50年前と比べてさえ全く変わってしまった現在、たとえ流入負荷を1930年代に戻しても、そしてその頃の生態系に戻っても、それは今の日本人にとって、好ましい水環境であるとは、必ずしも言えないのです。
「流域をどうするかという問題は、国土交通省がすべきこと以外にも多くのことを含んでいることを理解していただきたい。」と、閉会後の個人的な会話で言われていましたが、全くその通りだと思います。