育った環境と投稿論文

3月20日に可能性を指摘した二重投稿、実はとある工学系の国内誌で、国際誌と全く同じものを発見していたのでした。多分、これをやった筆頭著者は、そういうことをしてはいけないのだと、誰にも教わっていなかったのでしょう。
投稿論文に対する考え方は、教育を受けた環境によってかなり異なるようです。
例えば、筆頭著者かつcorresponding authorでもあるのに、引用文献は他の人が読み、図表も本文も他の人が書き、自身は図表も引用文献も、最終原稿さえも持っていないというのは、私からすれば完全にNGですが、そういう方も工学系の知人に実際にいます。それはおかしいのではと指摘しても、どこが悪い?みたいに思っているようです。
出身教室の地理では、卒論や修論を投稿するときに、指導教官の名前をいれなくても全く不思議に思われませんでした。私の卒論や修論の投稿論文にも指導教官の名前は入っておらず、単著になっています。これなんかは工学系から見ると、かなり珍しい例かもしれません。
環境問題を解決するにあたっては、領域を超えた協働が不可欠です。とはいえ研究は、特に論文を投稿する性格の研究では、文化が異なる人との協働は難しいです。

追伸:26日から数日、携帯の電波も届かない場所に行きますので、ブログの更新はちょっと難しそうです。