屋久島のコミュニティ

屋久島・栗生での娘の山村留学が終わり、迎えに行ってきました。
1泊目の夜は、小学校の先生お二人と派出所の方を送る会が栗生区の施設で催され、区長を勤められていた里親さんから、お世話になった皆さんにお礼するいい機会だからと勧められ、娘ともども参加させていただきました。お料理は婦人会の方々が朝から手作りされたものだそうです。里親さんが長期で出かけるときに預かってくれた同級生のご両親や、娘がいつも遊びに行っていたお宅の親御さん、それだけでなく、多くの大人が何かしら娘と話をされていたようで、「帰っても頑張れよ」「夏休みはまた来いよ」と娘に声をかけてくれました。娘も大人だらけのこういう食事会に物怖じすることなく、食べたいだけ食べつつ、「はい、絶対来ます!」と元気良く答えてました。
翌日の夜は、里親さんのお宅のご近所の方が、娘の好物だからと、焼き肉パーティーを開いてくれました。電気と流し、大きなテーブルと椅子のあるトタン張りの離れで、カセットコンロと鉄板でお料理。10数名が集まり、それぞれ具材やちらし寿司、おにぎり、お総菜、デザート、飲み物を持ち寄ってのパーティーは、高校の頃のアメリカのニューイングランドで週末によく行ったパーティと、全く同じ感じでした(ファーストネームを呼び合うところまでそっくり!)。そこでは大人だけでなく、その家の子供も会話に加わるのですが、アメリカではこうやって社交性を身につけて行くんだなあと思っていたことを、屋久島では娘が普通にそうしていました。毎日曜、娘に電話していたのですが、学年を超えた友達の話だけでなく、「〜おばさん」「〜おじさん」の話もでてきました。私がアメリカや、後に20歳の頃に1ヶ月いたヨーロッパの友達のコミュニティのように、屋久島の栗生では年齢を超えた交流を通じて、コミュニティが成り立っているんだと思いました。
パーティーの話題のひとつは、この栗生のよさを観光資源とすることで後世に伝えるにはどうすればいいか、でした。そして「これを最新ファッションアイテムにできないか考えている」と見せていただいた、屋久杉の間伐材の細工をおみやげに頂きました。
そしてさきほど、その屋久杉や、屋久鹿の角や、校長先生から頂いた天梅の盆栽などたくさんのおみやげを抱えて、つくばに戻ってきました。栗生の多くの人に育ててもらった1年間。自然環境もさることながら、かつては普通にあった、そして多くの世界では普通にある人間関係、社会の在り方を娘が経験できたことは、とてもありがたいことだと思います。