つぶやきのGW

3日からの4連休は、講義資料(PPTファイル)の作成で終わってしまいしました。。。^^;
夏学期はゼミが2コマ、実習1コマと講義(環境計測論)1コマ。この講義2回分(環境計測と統計、分析に関する基礎知識)の資料だけならまだしも、5月は駒場教養学部)でのオムニバス講義が2回(気候帯と水環境 (1)沿岸域の水環境 (2)人と水との関わりから考える環境問題)、某公立大でのオムニバス講義が1回(空から見た川)、新領域環境系で開講しているサステナビリティ学のオムニバス講義も1回(Hypoxic Water)、さらに陸水研ゼミでの私の当番が13日!例の事件があって大学では会議の連続なので、これは連休中に片付けるしかないと、サステナビリティを除く6回分の講義資料をほぼ作り終えました。
本当は連休中に異様に低い窒素安定同位体比論文を書き終えようと思っていたのですが、全く手をつけることができませんでした。フラストレーションがたまりそうですが、それでなくても脳の後遺症のおかげかストレスが心身症になりやすいので、よくやった方だと自己満足しないと。。。
今はこんな風に、これが限界、よく頑張ったと自分の気持ちを持っていける環境なのが、とてもありがたいです。まだ脳脊髄液減少症が知られていなかった頃、元ダンナやその家族から、仕事と家事に後遺症が重なってヨレヨレになるのは、私が怠けているからだと散々非難されました。そう言われると、自分が頑張れないのが悪いような気になってしまって、精神的にはよく生き残れたと思えるほど、最悪の状態でした。
2月18日にご紹介したように、大人だけでなく、まだ人格形成途上の子供さえもが、脳脊髄液減少症が知られていないために、そんな誤解によって追いつめられています。大人は配偶者を選べます。これは選択ミスだったと自分で、もしくは親から言われたら、気づくこともできます。でも、親が理解できなかったら、この後遺症にかかった子供の負担は、大人には想像もできないものです。よく、あなたはどうして、事故で肉親を失ったわけでもないのに、交通事故にそこまでこだわるのかと聞かれます。その理由は、心を殺されるから、そしてそれが一番深刻なのが、何の罪もない、子供だからです。一刻も早く、この後遺症について周知が進みますように。
そしてこの後遺症に限らず、どんなことがあっても、何かができないことで人格を否定するような言い方をするのは、言葉によるいじめです。何が原因かを解明するために問いただすことと、人格を否定することは別の話のはずです。私は被害者になって身にしみたので、多分、アカハラと受け止められることはしないんだろうなと思っています。。。
今のところ、陸水研の売りは、それしかないかもしれませんね。まだ私だけが指導した学生さんは、社会に出ていませんし(て、今のM2にはプレッシャーかな?)。