窒素同位体を研究している日本人若手研究者の中で、この人はモンスターでは?と敬服しているのがK先生です。そのモンスターぶりはこのブログの右下のリンク「Kei Koba's weblog in TUAT」で記事を読んでいただければご理解いただけると思います。
10月12日記事も、なんか驚いちゃいました。内容を直球で受け止めてもですけど、もしかしたら超能力使って、ウチのD4のT君の現状を察して、メッセージ送ってるんじゃないか、て。
さわりだけ引用します。是非是非、全文読んでみてください。
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October 12, 2008: Information for Prospective Students
環境について考えてゆく際に、generalistとなるか、specialistとなるか、という問題があります。最近では、T字型人間、そしてさらにはπ字型人間というように、広く浅く知識を持った上で、専門的に掘り下げることのできる人材が求められているのではないかと思います。
(中略)
最低限、とあえて書いたのは、πという字が持つ2本の縦棒、2つの交わることのない、独立した視点をもっていても、新しい次元には至ることができないからです。問題は、では、異なる考えをどうやって融合し、新しいものに昇華してゆくか。たとえば、守るべき環境のフレーミングを考える際に、環境収容力の概念と、その土地に伝わる信仰の歴史をどうやって解け合わせてゆくか。こういったことが実際の環境問題に対峙してゆくときには必要なのでしょうが、そのようなことを体系立てて学ぶことのできる学問分野はまだ生まれていないと思います。
(中略)
先ほどのTやπの話でいえば、もう一度繰り返しをおそれずに書けば、πでは足りないのです。独立した2本の縦糸をどうやってつなぐか、どうやってより太い1本へとまとめてゆくか。そのための鍵の一つは、縦糸の中に紡ぎ混まれている「一般性」をひもとけるかどうかでしょう。自分のやっていることを、その分野の言葉だけでしか表現できずに終わるのか、全く別の分野との差違を際だたせつつ、奥底にある類似性を取り出し、安易な方法でなく、それぞれの長所がどのように存在しているのか、その存在様式をしっかりと顕在化できるようになること。そういったトレーニングが必要だし、そのためのトレーニングの方法を一人一人が考えてゆけるようになって欲しいと思います。専門バカという言葉がありますが、専門バカといわれる状態の専門性を2つも3つももっても仕方がないではないでしょうか?いい意味の専門バカは、specialistでありながら、そのspecialityからgeneralityへと至る道をしっかりと歩める人でしょう。そうならないといけません。GouldやSaganのエッセイからはその道を示す光が感じられるかもしれません。
(後略)
BGMにはSEAMOのCONTINUEというノリですね。