可能性を限定する教育

土曜の午後は、高校1年の息子の進路指導に関する学年父母会でした。午後ほとんどを使っての説明で、現在の高校生が置かれている状況をちょっと知ることができました。こんなんで日本の将来は大丈夫だろうかと不安になりました。
息子が通っている高校は中高一貫の私立で、某教育大学のOBが中心となって運営されています。何もないところでのキャンプ、海での遠泳と、私が日本で通っていた高校(大阪教育大学附属高等学校天王寺校舎)と似た面があったのに好感を持ち、中学から通わせています。
私が高校の頃は、理科なら地学・生物・化学・物理・社会なら日本史・世界史・地理を全学生が高2まで履修しました。高2で中退したので高3については分かりませんが、数学無しということはなかったように思います(倫社、政経という科目もあったと思いますが、これも中退したので受けた記憶がありません)。
息子の高校はそうではなく、高校2年から国語、数学、英語、社会の履修が生徒の進路によって全く変わるそうです。教育大系の高校でもこうだということは、たぶん他の所もそうなんじゃないかと思います。
息子の高校の場合、自分が理系だと思ったら、パターンはひとつしかありません。日本史か地理Aのどちらかを2単位(ただし日本史は覚えることが多いので地理Aを採ることを強く勧めるとのこと)、数学II4単位、数学B2単位、理科(物理I、化学I、生物、,地学I)を3単位でとるのと4単位でとるのをひとつづつ。得意な科目を4単位で採るようにとの指導でした。ただし息子によると、物理・地学にしたいと思ったけど、地学は実際は無いからダメなんだそうです。
文系はもう少し選択のバリエーションが多いのですが、極端な場合として私立文系を目指す場合、日本史か地理Aのどちらかを2単位、理系の数学II4単位の代わりに現代文2単位と古典2単位、英語購読2単位、理科(物理I、化学I、生物、,地学I)を3単位でひとつ、日本史Bか世界史B4単位。つまり数学無しという選択になるわけです。
早い場合学部ですでに気付くことですが、理工系で修士以上に進むと英語はなしでやっていくのは難しいです。一方で文系科目とされる経済は、本当は数学無しでは方手落ちになるかもしれない学問です。
高校1年の段階で人間を理系か文系かに分類し、かつそれぞれが学ぶことをこれほど限定してしまうことに、いったいどういうメリットがあるからこうなってしまったのでしょう?