水環境科学の大衆的正当化

財団法人日本学術協力財団が発行している月刊「学術の動向」2007年4月号に「人文社会科学の下流化・オタク化と大衆的正統化」との論文があります。横浜市大4年生の読者は、アレ?どこかで聞いた、と思うタイトルですね。講義では「水環境科学の大衆的正当化」として「アサザによる水質浄化」という妄想を批判しました。
国際誌など、科学的に信用できる学術論文では、アサザなどの浮葉植物は水質を浄化するどころか逆に悪化させるのだと、明確に議論されています(水環境学会誌,30(4), 181-184, 2007年4月に掲載した拙文で、それらをレビューしてあります)。残念ながら浮葉植物を植栽することにより水質が浄化されるという妄想は、まだまだ日本の市民運動レベルで信じられているようです。たとえば12月6日現在、ヤフーで「アサザ 水質浄化」で検索すると19500件もヒットします。
月刊「学術の動向」2007年4月号には、アサザに対する誤解をここまで広めてしまった責任が皆無とはいえない知識人の論文も合わせてでています。このような考え方から、この方は審議会などで積極的に発言されています。まさに「人文社会科学の下流化・オタク化と大衆的正統化」で書かれている、「丸山以後の覇権型知識人は、場を躊躇なく自在に遍歴し、遍歴による汚染をいとわない知識人である。汚染どころか雪だるま効果となる。知識人は大学知識人からメディア知識人や審議会知識人にとってかわったのである。」を率先されている感じです。
これはこれで、この方の信念なのでしょう。
水環境を本当に守る学問とはどうあらねばならないか。私が原点に思っているのは西條八束先生の姿勢です。下記は1月27日記事でご紹介した、西條八束先生への弔辞の一部分です。読者の方にも、それぞれに考えていただければと思います。

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先生は水圏の研究に加えて、我が国における湖沼・河川の生態系が様々な開発事業によって損なわれていくことに、これらの生態系の外的要因に対する脆弱性を良く理解している研究者としての責任を強く感じてこられた。このような水圏環境の保護の立場から、開発の是非について積極的に発言をされている。しかし先生は、研究者が専門家として社会問題に関わる場合、研究者としての蓄積に裏打ちされた意見表明が必要で、その立場を離れた発言は慎むべきであるということも繰り返し述べられており、研究者の社会的な関わりに一つの規範を示されていたことも忘れてはいけない。