訃報

10日ぶりに戻った自宅で郵便の山を整理していたら、宅配でとっている低温殺菌牛乳の連絡として「小寺ときさんが18日に亡くなられ、通夜・葬儀などは20日までに済まされました」との訃報が入っていました。
小寺ときさんは、7月31日付記事で紹介した「本物の牛乳は日本人に合う ノンホモ・パスチュアライズド牛乳の話」や岩波ブックレット「おいしくて安全な牛乳の作り方」の著者です。ご主人の留学先のドイツではお子様達が大好きで飲んでいた牛乳なのに、帰国したらアレルギーがでたり味が違うなどから日本の牛乳はおかしいのではないかと気づき、殺菌方法が実は全く違うことを突き止められます。医学部に在籍されていたこと、ドイツ語が堪能であることから牛乳の殺菌法や硝化・吸収に関する原著論文を数多く読まれ、それらの知識にもとづいて、あるべき低温殺菌牛乳を消費者と生産者をつなげながら作り出すことに多大な貢献をされました。
私もアメリカから帰国したとき、日本の牛乳はおかしいと思いました。それでアメリカで飲んでいたのと同じ牛乳を探しているうちに「みんなの牛乳」に出会い、瓶に書いてあったお宅にうかがったのが小寺さんとの出会いでした。博士課程の学生のときです。私が海洋研の学生だと知って「東大の学生さんなら、低温殺菌と滅菌の牛乳でどちらが腐敗しやすいか実験した、この論文を読むことはできますか?私は滅菌した牛乳の方が腐敗しやすいと書かれていると思いますよ。日本のメーカーや専門家は逆を書いていますけど。」と言われました。農学部図書館で言われた論文を読んだら、彼女が言ったとおりの結果になっていました。なるほど、だから日本の牛乳はおかしな状態のままなんだと納得したものです。
そのようなデスクワークは彼女の活動のほんの一部です。一般に河川敷では堤防の破損を防ぐためにカラシナを駆除する薬をまくのですが、利根川河川敷の草を牛の餌にしていたので「ここにはまかないでください。そのかわりカラシナは私たちで摘みます」と河川管理者にお願いして承認してもらいました。農薬や化学肥料を使わない野菜や果物を手に入れるために群馬県の畑を家付きで購入し、週のほとんどはそこで畑仕事をされていました。1960年代からすでに、洗剤の使用は生態系によくないと石けんを使って手洗いされていました。
「本物の牛乳は日本人に合う」は癌で入院されていたときに病室にノートパソコンを持ち込んで書かれたものです。引用している文献はすべて記憶を頼りにされていました。その組織力、行動力、先見の明、やると決めたら必ずやりとげられる意志力など、世の中にはこんな人がいるんだとひたすら驚嘆していました。そんな彼女だから、癌もきっと克服すると信じていました。実際、本を書き上げてから退院され、お正月には年賀状をいただいたばかりでした。
西條先生が亡くなったときもあまりに突然だったので、お通夜の祭壇で遺影を見るまでは何かの間違いだと思っていました。小寺さんも同じで、海洋研近くのご自宅に行ったら、いつものように山のような文献に囲まれて迎えてくれるような気がしてなりません。