脳脊髄液減少症 症状緩和対策(1)

1997年10月に追突されて脳脊髄液減少症になり、2001年2月に最初の腰椎ブラッドパッチ、同5月に2度目。その後は5時間以上かかるもののフルマラソンも走れるくらいには体力がついてきたのですが、どうしても知的作業が進まないなどから、2007年7月に頸椎にブラッドパッチ。これは体力面にはかなり効果があって11月にはフルマラソンを4時間台で完走。この調子で英語の執筆も多少はできるようになるかもしれないと期待したのですが、2008年8月からは多忙と心労もあってか、走る気力も起こらず、この後遺症と診断される以前くらい情緒不安定になったり、睡眠導入剤がないと寝付けない日が毎日のようになるなど、大変な状況になってしまいました。
幸い(?)、その年のクリスマスイブに腸閉塞になり、3日間くらい寝たきりで点滴を入れっぱなし。この時は本当に体が楽で、脳が久しぶりに動いていると実感できました。特に、看護婦さんの目を盗んで点滴の速度をかなり上げるとすごく気分がよくて、1年半くらい目を通せなかったLimnology and Oceanographyを全部読破できて、主査と副査をしていた学位論文もあっというまにコメントできて、今やってる本の校正も、初校はこのときの入院中に、今よりサッサと済ませてたし。。。
この経験で、やっぱりまだ脳脊髄液減少症が治っていないと感じました。同時に、横になって点滴をいれれば英語もスラスラ読めるのだから、脳がパッチ以前くらい縮小しているのではなく、十分な髄液が脳に存在できる量よりほんの少し不足しているくらいなのだろう。それは腰椎か頸椎のパッチをしてもらった所からまだ少しづつ漏れているのだろう。たとえば10年以上前の帝王切開の傷口が中でまだいろいろ悪さをするくらいだから、傷口周辺の組織は何年経っても傷を負う以前とは全く同じにはなれなくて、英語論文がすらすら読めたり、英語でロジックを立てる能力が回復するにはちょっと足りない量で、髄液の産出と漏れがバランスしてしまっているのだろう。そして過労になるとその差が増えて、一気に疲れたり情緒不安定になるのだろうと推測しました。
いよいよとなったら、どこか点滴してくれる病院に行って高速で流してもらえば楽になると分かった点は安心。その上で、どうやって日常的に髄液を十分な量に持って行くか。
私はかねてから、この後遺症はあたかも五大湖の水鳥の殻が化学物質でもろくなって、親鳥が温めている間に壊れてしまう現象と似ていると思っています。破れた髄膜がふさがらないのは、化学物質の影響ではないだろうか。同じような衝撃を受けてもなる人とならない人、パッチを受けてもなかなか治らない人がいるのはそのせいではないだろうか。この後遺症に詳しいM先生にそう話したら、原因はともかく、僕もconnective tissue disorderという観点から検討する必要があると思っていますとのことでした。
私は小児ぜんそくをやっていたり、花粉症だったりと、アレルギー体質であるのは間違いなくて、それもたぶん高度成長期の公害列島の都会で育ったからなんだろうと思っているのですが、もうひとつ、普通の食事で十分量のカルシウムを摂取していても爪が曲がったり、卓球のサイドスッテプに失敗してひねっただけで骨折するなど、硬組織の形成に問題があることも化学物質の影響だろうと思っていました。対策としてノンホモの低温殺菌牛乳を飲み、さらにサプルメントでも補強して今では人並みの骨量になっています。それで髄膜対策も、膜形成に必要な要素を通常より多く摂取すれば、骨が人並みに維持されているように、漏れにくい程度の膜になるのではないかと考えました。
結合組織に必要なものとして思い浮かぶのはコラーゲンですが、たぶん高価なコラーゲンサプリを飲んでも一度はアミノ酸にまで分解されるのだから、それならゼラチンでも同じだろうと思ってヨーグルトにゼラチンをかけて食べていた頃、環境系の新年会で、特任教授として来られている大谷先生とお話することができました。
(続く)