1995年度に採ったデータで書いた論文、5つめの投稿先から「大幅な改変を要する」で返ってきました。
このデータを採った翌年に交通事故に遭い、脳脊髄液減少症で徐々に脳が縮小していったのですが、1999年くらいまではまだ英語の読み書きはそれほどひどくなくて、Journal of Marine Systemsに宍道湖・中海研究の特集号を出す仕事ができました。それが終わって、さあ、このデータや石垣島でサンゴ礁の稚魚の同位体を250も出したデータで書くぞ!と思っていた頃から心身ともにガタガタと崩れだし、英語は"Turn left"と道案内することさえでできなくなり、やがて査読していても3行前の内容を記憶できなくなり、日本語の論説も書けなくなって本の編集が頓挫。。。
一昨年に3回目の手術を受けた後ちょっと回復した気がして、今出さないとお蔵入りになると何とかまとめて出したのですけど、返った原稿を改めて読むと、これは確かにひどいわ。3人の査読者のうち一人は5ページ使って読むべき論文やら、タイトルや構成、イントロの最後の文章はこう書けば、みたいに直してくれていて、まるで学生の頃に投稿した論文並に指導されてました。ああ、恥ずかし。この査読者、知り合いだったらどうしよう?
などなど、改めて、何で私がこんな事故にあって脳をやられなければならなかったんだろうと悔しくてたまらないですが、悔しがるだけでは物事は進まない。これはひどいと気づけるようになっただけでも、投稿した頃よりは思考がまともになってきているんだと前向きに考えよう。
教授ともなってこんな論文書いてていいんだろうかと落ち込まないでもないですが、事故以来、データは出たのに書けないで放置しているフォルダーが20も残ってる。書けるようにさえなれば、1年に5本ペースで書いても、4年間は自分が筆頭書く楽しみを味わえるということで。とはいえ、修士1年で初めて国際誌に挑戦した頃に戻ってイチからやり直していては、博士課程の5年を合わせて自力で書けるようになるまで7年もかかっていたから、愚直に努力する以上の何かが必要。