自然の中で遊ぶ

写真は昨日ご紹介した、屋久島の永田川にある横河渓谷です。屋久島の海岸から数kmのところの河川では、至る所にこんな風に大きめの礫が堆積しています。そういう所は流れが少しおだやかになっているので、地元の方達が水遊びに来ています。屋久島の小学校に通っていた娘によると、貝を拾ったり、小学校の孵化小屋でウミガメの赤ちゃんが孵化していたら海岸に連れて行ったりと(今回の滞在中も1尾孵化していたので連れて行ったそうです)、そんな目的で海に行くことはあっても泳ぐことはあまりなくて、川で泳ぐ方が圧倒的に多いとのことでした。
その海にしたって、ほぼ自然海岸のままで、海水浴のために整備した浜ではありません。
私は淀川の下流で育ったので、川で泳ぐという感覚はまったくありません。それでも当時はまだワンドがたくさん残っていて、小さめのワンドをせき止めて、友達と一緒になかの水をくみ出して、泥の中に残ったフナやら鯉やらを手づかみにして遊んでました。
アメリカに留学していたときは、川ではないのですが、夏の2週間をメーン州氷河湖のふもとにある別荘で過ごし、湖岸の枝に結んだロープを振り子のように使って高いところから飛び込む、などの遊びをしていました。ちょっと先にビーバーの巣がありましたが、遠くから静かに眺めなさいと言われることなく、どっかにいないか、いたらおちょくってやろうと、近くを泳ぎ回ったりしました。マサチューセッツ州中流が住むその街では、おそらく3割以上の家庭が小さな別荘を北の方かフロリダに持っていて、屋久島の人たちが家族で夏休みを過ごすような過ごし方をしていました。
つくばにいると、夏になってもそんな風に水の中に入って遊びたくなる場が身近に見あたらなくて困っていました。娘が屋久島で日常的に川遊びを楽しめて、本当によかったと思います。
身の回りにある自然(水なり動植物なり)について、近づかないで見ているもの、採ったりせずに観察するもの、なんて好奇心満々の子供に説かねばならない状況って、既にそこが不健全であることの裏返しだと私は思っています。娘が小学校の時に使っていた国語の教科書に、子供達がビオトープを作るという話がありました。それもまた「大切な自然なので、入ったり採ったりせずに大切に観察しましょう」とありました。すごく違和感を感じました。日本の子供達が五感を使って自然を感じる機会が他の国と比べてどれだけ少ないか、統計がとれないものかと思います。