参考書12「霞ヶ浦考現学入門」

著者は霞ヶ浦の研究を始めて21年になります。専門である生物や水質を中心としながらも、様々な分野を勉強してきたと言います。そんな著者だからこそ、この本を次の文章で始めることができたのでしょう。
霞ヶ浦という現象は、自然現象であると同時に社会現象でもあります。また当然ながら空間的かつ時系列的な把握が前提になります。それは、ありとあらゆる分野に関連しており、非常に複雑で巨大な現象です。霞ヶ浦問題に取り組もうとする時には、まず、このような厳しい認識が必要です。」
実際この本には湖沼の形態の意味、水質、生物、産業、歴史、景観、市民運動と、様々な事象が著者自身の言葉で解説されます。しかも霞ヶ浦の特徴を霞ヶ浦だけを見ていては理解できないからと、湖沼形態については国内外の湖沼を観察し、霞ヶ浦は国内の他の湖よりも東南アジアの広くて浅い湖の方が似ていると語っています。景観についてはフェルメールレンブラントなど「オランダの光」に対して「霞ヶ浦の光」を議論します。
そして、霞ヶ浦での某自然保護運動について、次のように記しています。
「科学とは、思い込みを排し、「疑って検証する方法論」である。テレビや新聞などメディアの担当者、社会人として未熟な保全生物学者、生態学者の責任も極めて大きい。」
何をさしているのか。
宍道湖にとって健全な水環境とは何か、それはどうやったら維持されるのか、もう30年近く考え続けている私に「お母さん、バカだね。アサザを植えれば水はきれいになるし、生物が大量死しちゃったんなら、小学校のビオトープで育てて、宍道湖に放してあげればいいじゃん。」と小学生だった娘に言わせた運動のことです。ビオトープにいたっては、国語の教科書で「ビオトープの生き物をさわってはいけません。大切に見守りましょう」なる3ページ以上もの文章を毎晩3回も音読するのですから(聞かされる親はたまったもんじゃない!)、この子達が大人になる頃には、自然とは人が容易に再生し、それと関わるのではなく花鳥風月のように眺めるものという考えが、すり込まれてるんじゃないかと思います。
何をもって悪いとするか、何を良いとするのか。「それは個人の価値観でしょう」ではない方向で霞ヶ浦の環境を議論する上で、この本は理系文系、一般市民・専門家など、あらゆる人々に土台を提供するものだと思います。また霞ヶ浦でなくとも、水環境問題とは何なのか、どう考えればよいかの指針になると思います。
私の研究室を目指す学生さんには必ず読んでいただきたいと思います。

霞ケ浦考現学入門

霞ケ浦考現学入門