河川敷での除草剤散布が中心になった理由

かつて1級河川の河川敷には、一律、除草剤をまくことになっていました。それがなぜ撒かれなくなったのか?「みんなの牛乳勉強会報告2010年2月号」より、許可を得て転載いたします。

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1月18日は小寺ときさんのご命日、それぞれの思い出を語るため、勉強会はいつもより30分早く始まりました。
30年前、小寺さんは栃木県に開いた自給農場「青空農園」と東京を往復していました。利根川を渡るとき、車から広々とした河川敷で乾草作りをしている集団を見てました。子供達のアレルギーに悩んでいた小寺さんは河川敷の野草を飼料として利用している酪農業者なら、安全な牛乳の生産に取り組んでくれるかもしれないと考えたそうです。
そして、東毛酪農と協力して低温殺菌牛乳が生まれると、小寺さんは沢山の消費者を連れて河川敷の清掃作業にも参加し始めました。
昭和63年の暮れ、当時の建設省(現:国土交通省)から堤防に地生した菜の花退治のため除草剤を撒布する計画が持ち上がった時は、何度も役所に交渉に行ったそうです。交渉の結果「皆さんが退治できるな除草剤は撒布しない。」との約束を取り付け、除草剤撒布を中止させたのです。約束をしたその春は2月頃から、たくさんの消費者の方々が毎日毎日電車を乗り継いで、交通費も自腹、手弁当で堤防のカラシ菜取りをやっていたそうです。東毛酪農でも関係者総出で、機械を駆使し春先からカラシ菜退治をしたそうです。言うまでもなく、この年の春の河川敷清掃作業はカラシ菜退治が中心となり、それ以後今日まで続いているのです。
このことがあって建設省は堤防の除草剤撒布を全国的に中止したのです。小さな力の結集で大きな成果を得ることが出来たのです。
東毛酪農の木村さんは昭和55年に入職以来12年間、河川敷の野乾草作りをしていたそうです。堤防に地生したカラシ菜を消費者の方が一つ一つ手で退治することは無謀だと当時は思ったそうです。しかし、消費者の方々が黙々と広大な堤防を相手にカラシ菜を退治する姿に感動と同時に感謝したそうです。それはくじけそうな気持ちを奮い立たせてくれたからとのこと。
木村さんは河川敷で野草の管理をしている12年間に数回小寺さんと河川敷で話したことがあるそうです。その時こんな質問をしたそうです。「なんでそんなに一生懸命なのですか?」と。小寺さんが「意地よ」と言った一言が木村さんは今でも忘れないとのことです。当時の木村さんには多いに共感できる一言であったとのことです。

追伸
当時の建設省が除草剤をまこうとした理由が書かれていないので、補足します。
カラシナは大きな根を地中に張るのですが、枯れるとその根が残って、ミミズの格好の餌になります。そのミミズを狙ってモグラが集まり、堤防中がモグラの穴だらけになり、洪水の際に決壊する危険が増大します。それで除草剤、という話になったのです。
こういう事情なので、カラシナ採りは地上部を刈るのではなく、根こそぎ取らねばならない、大変に手間がかかる作業になります。
上水にもなる全国の一級河川で除草剤がまかれなくなったことは、勉強会の熱意と共に、当時の利根川河川事務所の方の英断の効も大きいと思います。行政も市民も、守りたいのは子供達の未来です。このような事例が今後も積み重なってほしいと思います。
小寺様が私の中に残して下さったメッセージを、下記でご覧になれます。
http://nes.nenv.k.u-tokyo.ac.jp/profile/video_images/video_07.html