陸水研がめざすこと 〜西條八束先生の業績にふれて

日本陸水学会東海支部会は「陸の水」という研究会誌を発行しています。2010年1月号には「西條八束会員著作目録」が掲載されているとのアナウンスがあり、初めて取り寄せました。
先生の最初の学術論文は25歳の時に地理学評論に掲載された「富士五湖の湖沼学的研究(5)山中湖水の理化学的性状.地理学評論 21,557−(1949)」でした。3本目の論文は南海道地震の被害分布に関する研究で、何と、エスペラント語です。この地震の時は貝塚爽平先生と一緒に調査されていて、その最中に吉村信吉先生の訃報が入ったとのお話をうかがったような記憶があります(何分、ダメージのある脳なので、自信はありませんが)。
6番目になる論文が「湖底堆租物の研究(第1報)本邦湖底堆積物中の有機成分 地理学評論 26,595−606(1953)」。これはまだ先生にお目にかかる前の学部学生の頃から、宍道湖有機物濃度は過去と比べて、また他の湖沼と比べて現在どういう位置にあるのだろうと、折りに触れて読んでいました(地理学とは対象の時空における位置を常に意識する学問なので)。当時の物質濃度の表記が現在とずいぶん違っていて、古文書だぁ!と、文科三類出身なのに古文書が大の苦手の私は思ったものでした。
しかし地理学評論への投稿は1956年が最後となります。後に私が40歳で某地理系の助教授公募に応募して不採用だったとき、推薦書を書いて下さった西條先生は「地理というところは水商売に冷たいですから」と言われました。吉村信吉先生が目指した総合的な陸水学に関する研究は、少なくとも当時の地理学会では広げられないと、1956年以降にお考えになったのかもしれません。
私も同様に感じないでもありません。私が所属する自然環境構造学分野は、一見すると教授も准教授も「水」というキーワードでつながっていますが、考え方は全く別物と思って下さい。陸水学は総合科学であり、例えば専門は化学で、たまたま対象が水、というものではありません。そのために、陸水学会の創設に貢献され、名著「湖沼学」を書かれた吉村先生でさえ、下記のような言葉を湖沼学の<緒言>に書かれています。
「常々からそう思っていたが、本書編集に当たって最も強く感ぜられたのは、著者の出身学科(地理学)の関係上、補助諸学科の知識、並びに理解力の欠乏であって、本書中に多くあるであろう不徹底の記述は主にこの点に原因している。その為に筆を絶とうとしたことが何度あったか分からない。」
生物、化学、物理学の知識・理解力は、当然ながら、それを専門にして水を対象にしている研究者の方から見れば甚だ不十分なものです。けれども、それらの専門から見る水と、初めから総合的に見ようとする水とでは、見え方が絶対に違ってきます。
創設当時の陸水学会には、吉村博士ご自身の努力はもちろんのこと、専門外の研究に対しても否定的に見ず、むしろ積極的に総合化を目指す雰囲気があったようです。山本荘毅先生は1933年当時の陸水学会について「有名な生物教室の先生方は皆会員になっていたが、このほか当時超一流の地球物理、地質、地理の先生方が入会していた。私にとっては神様のような先生方、例えば岡田武松、藤原咲平、日高孝治、坪井忠二、地質では小川琢治、加藤武雄、佐々保雄、矢部長克、田中館秀三、脇水鉄五郎、早坂一郎、地理では辻村太郎、今村学郎ら超一流の碩学と時々はお目にかかることができた。名簿によれば、これら理学部の先生方だけでなく工学部関係の阿部謙夫(水文学・土木)、神原信一郎(土木)らの名前もみえ、学部・学科をこえた広い交流のあったこと、現在の生態学優勢とは異なりIHP、IAHS的な集合協同体であったことがわかる。」と記されています。
個別の専門において流行のテーマではないこと、手法がその分野の最先端ではないことがあっても否定的に捉えるのではなく、それぞれの専門の研究者が不備を補い、多分野での議論を積極的に後押しすることによって、総合的な陸水学の議論が可能になります。
そろそろ入試説明会の季節です。陸水研はどんな専門からの学生さんもWelcomeです。ここに来ればその専門を深化させる指導はできませんが、それはご自身で進めて下さい。私が指導できるのは、総合的に水環境を理解する方向みたいなことだけです。具体的に学生さんがそれぞれのテーマをどのように深めているかは、本当にそれぞれなので、できれば学生さんがいるときに研究室訪問されるとよいと思います。
陸水研のゼミは4月20日以降の毎火曜17時からです。この曜日は基本的に全員いますので、できればこれに合わせてお越し下さい。