連休中の内職として持ち帰った助成金申請書作成。通常は獲得したプロジェクトのタイトル、制度、期間、経費などを書くだけなのですが「成果」も書けとあり、要約を書きながら就職からこれまでの20年を回想してました。
自分が代表を務めた完了13課題に、現在走ってるのが3課題。
この他にも、小寺ときさんの英語担当秘書(?)として、海外の牛乳の専門家3名に講演をお願いして1991年に開催した「牛乳の熱処理に関する国際シンポジウム」、翌年うまれた息子に飲ませるために始めたつくば地区「みんなの牛乳」販売促進プロジェクト、交通事故に遭いクルマ優先社会の理不尽さに憤慨して立ち上げた市民環境会議シンポジウム「過度のマイカー依存からの脱却」プロジェクトと、現在進行中のアミノ酸プロジェクト。他にも何かあった。。そうそう、「クルマ社会を問い直す会」が子供の交通安全についてアンケートした結果をまとめて、ミネルバ書房の雑誌「発達」に投稿したりとか。
37歳で交通事故に遭わなければもう少し国際的に仕事を展開できたのに、、英語だけはと10歳から頑張ってきたのにと、悔しさが減ることはこれからも決してないと思います。でも、その時々に変更を強いられながらも、目指している方向は、英語の勉強を始めた10歳から変わっていない。
それが本当にやるべきことなら自分も頑張れるだろうし、不思議と誰かが助けてくれる。逆にそうならない、できないことは、本当にやりたいことでも、やるべきことでもないように思います。