「流系の科学」

宇野木早苗先生からご高著「流系の科学」を贈っていただきました。
宇野木先生は1924年生まれなので、現在86歳。長良川河口堰問題では、同年齢の西條八束先生(故人)、奥田節夫先生とご一緒に広範に活動されて、そのパワーに圧倒されたものでした。
海がご専門の先生が、そのお歳で新たに川の最上流から勉強し直されているご様子に、再び圧倒されました。何となれば、私も沿岸域ばかり研究してきたのに「陸水学をやるように」とのことで今の職場に移り、さて、陸水学的観点から何をすべきかと考えたときに、上流の窒素飽和、中流の樹林化を見いだしたのでした。そして本書で先生が「第3章 森林山地からの水の流出」で書かれていることなどを、ひぃひぃ言いながら必死で勉強したのに、このお歳の先生がそれをまとめているのには、正直がっくりです。私だったら80歳過ぎたら、こんなしんどいこと一切やめて、スイセンとボタンとユリを眺めて人生楽しんでいたいです。
発見もありました。
「まえがき」で宇野木先生は、河川に関して「2つの名著」をあげています。ひとつは「新河川学」そしてもうひとつは阪口豊高橋裕・大森博雄「日本の川」。
阪口豊先生は、当時、東大文科三類から唯一進学できる理学部地理学教室に私を拾ってくださり、「地理とは考え方の学問だ。大いに他流試合しなさい」「花粉をしたいの?いいよ。けれど僕は一切指導しないからね」「けれど世話になった先生の名前くらいは伝えるように」という「指導」をしてくださった最初の指導教員でした。
他流試合をモットーにされていた阪口先生は、東大海洋研究所の堀越先生と親しかったり、工学部土木学科の高橋裕先生を地理の兼担にお願いするなど、当時の地理学教室を真に学際的にされていました。修士入試の面接で高橋先生から「君は帰国子女なのに、どうしてこんなに英語の点が悪いんだ?」とたしなめられらたことは、今でも覚えています。阪口先生には、陸水学はあらゆる理学だけでなく土木とも連携し、この国の基礎を造る学問と考えておられたのだと思います。
西條八束先生も、長良川河口堰運用開始後は建設省のモニタリング調査の委員になって、自然科学の立場から是非を問われ続けました。陸水学会そのものも、山本(1996)に「有名な生物教室の先生方は皆会員になっていたが、このほか当時超一流の地球物理、地質、地理の先生方が入会していた。(中略)名簿によれば、これら理学部の先生方だけでなく工学部関係の阿部謙夫(水文学・土木)、神原信一郎(土木)らの名前もみえ、学部・学科をこえた広い交流のあったこと、現在の生態学優勢とは異なりIHP、IAHS的な集合協同体であったことがわかる。」とあります。そして「生態学優勢」が何をもたらしてしまったか。たとえば、近年は自然再生事業において生態学者が関わることが多いですが、霞ヶ浦アサザ植栽に見られるように、自分が得意とする生物群にとらわれすぎて場全体を見る観点が欠如し、問題を起こしているように思います。
地理学と土木の日常的な交流から、他分野の方が「名著」と賞賛される成果が刊行されていたことは、この国の自然を考える上で、陸水学が今後どのような方向を目指すべきかのヒントになるように思います。

流系の科学―山・川・海を貫く水の振る舞い

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