イメージと現実のギャップ

10月3日に開催された2010年度日本地理学会秋季学術大会シンポジウム「多主体連携による水辺域の環境活動の展開」で、「堤防撤去と開削を巡る自然科学の議論−中海本庄水域の事例」と題して事例報告しました。
本庄水域は、国による干拓事業で堤防に囲まれた部分です。中海本体からの高塩分水が堤防に遮られて入りにくいため成層しにくく、底魚や底生動物を中心とした漁獲対象種が生息していました(平塚・桑原、2000)。堤防を開削すると、長期間にわたって貧酸素化している中海本体と近い水理構造になり現在よりも貧酸素化すると、県の研究機関の研究者が報告していました(石飛ほか、2003)。しかし、「もともと無かった堤防なのだから開削すれば環境がよくなる」という趣旨の、非常にわかりやすい提案をする市民運動が展開され、開削を拒む行政と見解が対立しました。開削しても貧酸素化しないというシミュレーション結果が市民運動側から提出され、開削すればサルボウという、深いところに住む貝が増えて漁業が活性化すると主張する研究者もいました。このような声におされて開削された結果、4mより深い所の貧酸素化は開削以前よりも長期化するようになり(島根県の定期調査結果)、底生動物が減りました。つまり、開削によって環境がよくなると主張した方々の予測通りにはなりませんでした。
浅いところでは塩分が高くなった結果、アサリが増えたところがあります。しかし中海本体で起こっているように、貧酸素水の遡上により魚介類が死滅する危険が高くなりました。
この結果を受けて、「堤防を開削したら環境がよくなってアサリが増えた」と分かりやすい解説をする方もいるようです。

これに関連して名古屋大学の岡本耕平先生が、藤前干潟をゴミ埋め立て地にする干拓問題が、なぜ全国的な盛り上がりを見せ、計画中止に追い込めたのか解説されました。
反対運動に関わったのは、全国スケールのネットワークです。インターネットのメーリングリストには議員、NGO、プランナー、弁護士、新聞記者、干潟保全グループ、日本野鳥の会、COOP、ゴミ問題のNPO、リサイクル運動が参加しました。
このような全国スケールのネットワークにおいて、様々なグループを結びつけるようなシンボルが重要でした。「自然VSゴミ、脅かされる自然」という構図です。しかし、全国スケールで形成された「自然」のイメージは、 地理的に多様な現実の自然から乖離しているのではないか?と問題提起されていました。

自然再生推進法ができ、各地で取り組みが活発化しています。このとき、市民から提案された再生案が、専門知識に基づいて検討すると環境悪化につながるものなのに、専門外の研究者や市民からは再生につながると明確にイメージできるものだったとしたら、どうでしょう。イメージしやすいものなので、それはネットに載って全国規模の支持を得ることができます。しかし専門性に基づいて予測された結果が、一般人にはイメージしにくいこともあり得ます。
本庄水域の場合、閉じて悪くなったのだから開ければよくなるというメッセージは、予備知識がなくてもわかりやすいものでした。しかし、閉じる前にすでに貧酸素化が始まっていた、かつて中海に酸素を供給していたのは新鮮な海水だけではない可能性がある、閉じたことによって本庄水域では中海本体より湖底の状態が良好、などの前提を理解していないと、開ければ悪化するというメッセージは理解されにくいのです。

このような状況に、「自然VS○○、脅かされる自然」という二者択一の構図、さらにそれが「市民運動VS行政・権力」みたいなステレオタイプに持ち込まれると、どんなことが起こり得るでしょうか。多主体が議論を重ねる気運が削がれ、現在の知見で照らしてより正しいかではなく、ネットで得られる断片的な情報によって理解されやすいかで、現場に行ったこともない市民からの支持が集まり、自然再生という名の改変が検討不十分なまま行われてしまう危険がないでしょうか。

どうすればこのような危険を減らせるでしょう。滋賀県立大学の柴田裕希先生からは、多主体によるスコーピングが不可欠であること、そして事後モニタリングの情報が周知される仕組み作りが重要とのご指摘をいただきました。後日、柴田先生に関連する文献をお願いしたところ、「多主体の参加に基づくスコーピングと言うのはアセスメントの基本であり、基礎的文献では必ず説明されています。このため、研究論文として改めて主張されることは少ないのですが、それは、環境アセスでは参加型で科学性を互いに検証するアプローチが"当然"のことと考えられていることの表れでもあります。」とのお返事をいただきました。それが現実には行われていないことが問題でした。

自然再生という理由であっても、何らかの環境改変が行われるのであれば、環境影響評価(アセスメント)は必ず行われるべきです。そして提案した市民団体以外も含む多主体によるスコーピングからアセスメントを行うことが、常識になる必要があります。また、行政側が行うアセスメント結果に対して「アワスメント」と批判されることがあるように、市民が行うものにも同じ危険があることは周知されるべきだと思います。アセスメントの全ての過程と事後モニタリングがアクセスしやすい形でオープンにされ、そこで生じた問題が別の現場にいかせるシステム作りが必要です。