杉並病の顛末

杉並病解決に取り組んで来られたO先生からメールをいただきました。
寝屋川で廃棄プラスチック処理施設が原因と考えられる健康被害(参考:2007年11月27日記事)が起きることは杉並病のことから予測されたことで、かなり早くから寝屋川の人が杉並病について勉強され頑張ってこられていたそうです。
杉並病公害等調整委員会の原因裁定では「特定できない化学物質」と認められていました。私はそこまでは把握していたのですが、
「それにもかかわらず、損害賠償を求めた裁判は東京都が主張した『硫化水素説』で、残念ながら決着してしまいました。弁護士は東京都の自白(硫化水素原因説)を認めないと1銭も補償が出ないと決断したのです。私達(科学者)はさまざまな抵抗をしましたが。」
との顛末を初めて知りました。これは非常に重要なことです。もし「特定できない化学物質」で決着していたら、寝屋川の裁判で考慮されていた可能性があるからです。
寝屋川以後も同様の健康被害が起こってしまう可能性を残してしまうのかどうか、2011年1月25日の判決に委ねられているようです。