昔の霞ヶ浦にアサザは無かった(2)

昨日の記事は霞ヶ浦の北東の地区で聞き取ったもので、アサザ霞ヶ浦のものではないと思っておられました。一方、南西にお住まいの方は「たくさん咲いていた」と言われます。どこに?
下の写真で一面に広がっているのがアサザです。場所は昨日紹介したインタビュー同様、「川」でした。昭和42年の写真です。当時は水田で収穫した稲を干す架台を砂地である川に立てて、水田から船で運んでは干していたそうです。

水上の稲架
「想い出の水郷 鴻野信夫写真集」(常陽新聞社)より

#日常の移動手段が舟だった頃の霞ヶ浦周辺の日常が、温かい目で写されています。霞ヶ浦に関心のある方にはイチオシです。


このように砂がたまっている川底にお花畑が広がっていることから、アサザは変動が激しいところでも砂さえあれば、わずかな個体から急速に増えて繁茂できると考えられます。

昨日と本日の記事や、このブログでこれまでアサザ基金に関して指摘したことなどから、下記が結論されます。

1.アサザはもともと波が高い、浅くて広い霞ヶ浦本体の湖岸において、恒常的に広範に繁茂する植物ではありません。実際、現在のアサザ植栽地付近に、護岸工事以前にはアサザのお花畑があったとの文献はありません。砂が流入し、かつ波当たりが弱いという限られた環境で繁茂していました。

2.アサザは砂をためません。砂がたまるところにアサザが生えるのです。ですから「アサザが繁茂すれば波当たりが弱くなり砂がたまる」という考え(下の写真)が、そもそもナンセンスでした。当時のアサザ基金が十分な自然観察を怠っていたこと、自然環境に関する常識が抜け落ちていたことが分かります。

3.以上から消波施設作り、アサザを植栽することは自然再生ではありません。それどころか、粗朶消波施設から発生する負荷が湖の環境を悪化させているのです(事後モニタリング報告書の通りです)。従って子供達にアサザを植栽させる「環境教育」は、問題が大きいと言わざるを得ません。

アサザ基金が行っている事業はアサザ植栽だけではないのですから、自然破壊行為を看板にする必要は全くないはずです。事実に対して空想や感情で反論を続けていては、他の事業に対しても支持を失うでしょう。この基金の良識に期待したいと思います。

「よみがえれアサザ咲く水辺―霞ケ浦からの挑戦」(文一総合出版)より