土木学会誌2010年12月号のアサザ基金代表インタビュー

土木学会誌2010年12月号に「NPO法人アサザ基金代表理事 飯島博さんに伺いました」というインタビュー記事がありました。

                • -

ゴミを拾ってくださいとか、水の汚れを調べるというのは現状維持の発想です。これでは展望がありませんし、未来が描けません。しかし、アサザを一人ひとりが1株、2株植えるということからスタートしても、それが何千何万の人びとのネットワークになれば、湖全体を覆うことができます。霞ヶ浦をこれ以上悪くしないという発想から、霞ヶ浦の眠っている潜在的な可能性へ人びとの目を向けさせ、スイッチを入れることができたと考えています。

                • -

このインタビュー記事だけ読んだ読者は、アサザ基金によるアサザ植栽事業によって実際はゴミが増え、「景観や漁網、河川管理構造物へ大きな影響を与えた」(河川環境総合研究所報告第14号81−95)ことなど、思いもよらないでしょう。地元の人たちは貝や魚が豊富だった霞ヶ浦を取り戻したいのに(11月16日付記事)、アサザプロジェクトのおかげで二枚貝がたくさんいた砂浜がセイタカアワダチソウの藪になったことも、想像できないでしょう(関連して11月12日付記事も参照してください)。そして植栽されたアサザは、今は消滅してしまったことも(本来育つべきところに植えられなかったためです。道具に使われた子供達が可哀想なので、そのうち教育委員会や保育園ネットワークに訴えようと思っています)。

このブログの上部にある検索ツールで「アサザ」で検索してヒットした記事を読むと、アサザ基金によるアサザ植栽事業は霞ヶ浦の湖岸環境を現状維持するどころか、かえって悪化させたことが分かります。それでも地元の方々は、「泳げる霞ヶ浦」「魚や貝がたくさんいる霞ヶ浦」などの展望をもって、大切な霞ヶ浦を次世代に伝えようとしています。ネットや雑誌に出回る作り話など、この方達は気にもとめていないようです(上記リンクの孫娘と水遊びするおじいちゃん、楽しそうですね)。

霞ヶ浦をこれ以上悪くしないという発想から、霞ヶ浦の眠っている潜在的な可能性へ人びとの目を向けさせ、スイッチを入れることができた」って、具体的に何なのでしょう?この飯島氏、そもそも霞ヶ浦の地元に住んでいる方でもありませんし(牛久市の方です)、霞ヶ浦をいったいどれだけご存知なのか、極めて疑問だと私は思っています。無知だと何でも言えるから、言いたいこと言っている可能性大では?と。

子供の頃、「アリとキリギリス」という童話を読みました。私はキリギリスにはなりたくないと思っています。ベースもなくバラ色の話だけをする人が、世の中を変えるとは思えません。湖にとって「ゴミを拾ってくださいとか、水の汚れを調べる」からこそ未来が開けるのです。地に足ついた事業と学問に関わっている土木学会会員の良識が、この記事に対してどのような感想を持たれるのか興味深いところです。


追伸:このインタビュー記事の最後の方に「それを話合いの中で、みんなのものにしていく」とあります。これは本当に大切なことです。たとえ間違った発想でも、話合いの時点で根本的な誤りであれば、誰かが気づくからです。しかしアサザ基金アサザ植栽事業を進めるに当たって、地元の市民団体、研究者の大反対に聞く耳も持たずに強行してしまいました(10月17日付記事)。
「話合いの中で、みんなのものにしていく」ことができない点が、このNPO法人アサザ基金の致命的な短所と私は考えています。
私にとって「みんなの」はキーワードです。例えば下記を参照してください。
http://nes.nenv.k.u-tokyo.ac.jp/profile/video_images/video_07.html