遊ぶということ

大学にトラバーユしてからつけ始めた10年日記。ここ4年、何かしら仕事しています。今日も宍道湖・中海の貧酸素対策に充てる助成金申請書の作成。2日間延べ12時間かかって、8頁しか進みませんでした。
今年大学に入った息子が0〜2歳だった頃、私は30代半ば。父親が妻子を置いて留学してしまったため、一人で子育てしてました。よって平日の17時から8時と土日祝日は、仕事は一切できず。息子が5歳の時に娘が生まれたので、ほぼ10年間、そんな生活でした。休日はとにかく子ども達と外遊びして、お芝居を見に行ったり、フリーマーケットに出店したり。ディズニーにも年2回は行っていました。
その頃は今ほどノートパソコンが手軽ではなく、職場と自宅にデスクトップを置く余裕もなかったので、パソコンを使った仕事は平日8時半から17時限定で職場でしてました。自宅で仕事をしたとしても、寝る前に論文や本を読むくらい。だからかもしれませんが、職場では一瞬たりとも無駄にせず、環境省の公害特研の20頁以上もの申請書も1日か2日で片付けていたと思います。論文も職場でしか書いていませんでしたが、あの頃の成果を越えるものは、もうできない気がします。
今の私が仕事とオフタイムの両方を充実できないのは、脳脊髄液減少症のせいか加齢のせいか定かではありません。はっきりしているのは、子ども達が小さかった頃、一緒に遊び倒していてよかったということ。自身が幼かった頃は何かしら人の役に立てる人間になりたくて、遊ぶということができませんでした。子ども達とのあの頃がなければ、たぶん一生、無心に遊ぶという経験が無かったのだろうと思います。