37歳の誕生日直前に交通事故に遭い、脳脊髄液減少症になりました。当時はこの後遺症が一般に知られておらず、42歳になってようやくMRI画像で初めてこの後遺症と診断されたとき、主治医の先生から「脳の表面が70歳代、もしくは10年間毎晩4合以上の飲酒した人並に縮んでいる」と指摘されました。実際、極度の疲労、記憶喪失、言語障害、すぐに転ぶなど、当時の私の心身は、70歳代の老人かそれ以上でした。今でも論文執筆(研究者なのに。。)や英会話(帰国子女なのに。。)は、事故前の2〜5割しか回復していないと思います。
そういう経験をしたので、43歳で手術をした時の回復の目標を「70歳代は一度経験したのだから、もうたくさん。30代まで心身の状態を戻して、一生30代までいる」としました。
この本の著者の稲川素子さんは、娘さんをピアニストに育て上げた後、50歳で起業、70歳で慶應義塾大学を卒業し、72歳で東京大学の大学院に入学。現在は社長を務めながら博士課程にも通っています。生涯30代計画の参考になりそうと、自伝に当たる本書を読んでみました。
著者は高校生の頃は東大病院で入退院を繰り返し、あと4ヶ月の命と思ったこともあったそうです。また18歳の時に受けた盲腸の手術での医療ミスにより、右手が使えなくなり、好きだったピアノが弾けなくなりました。
幸い娘さんに恵まれたので、2歳半からピアノの道に進ませます。物心つかない子供のときから親の強制でピアノを続けて来た娘さんは、高校2年でテレビ番組でピアノを披露するまでになりました。番組の視聴者からの「うちの子供はピアノをやめたいと言うのですが、お嬢さんはやめたいとおっしゃらないのですか?」との問い合わせに「今までやってきて、ピアノが楽しいと思ったことはほとんどありませんでした。でも、やめたら母に殺されるとずっと思っていました。」と答えています。
50歳の起業も、テレビ番組の外国人出演者をたまたま紹介したのがきっかけですが、やり出したからにはと、受けた依頼に丁寧に答えているうちに、周囲からの要請があって会社にしたという感じです。65歳前から、自分が実年齢より10歳年上だと思い込んで「あと10年若かったら」何ができるのかを考えるようにしたそうです。そして思い込み年齢75歳の時に思ったのが「学校へ再入学してもう一度学習したい」。夢をかなえ東大大学院に入学した著者は式が終わるや、高校の頃、あと4年しか生きていけないかもしれないと悲嘆にくれていた三四郎池に向かいます。若い頃に病気や医療ミスで、将来を思い浮かべられなかった著者が、その時々の偶然に対して精一杯に対応して生きていく中で、ここまで来て初めて見えてきた自分なりの途を実感されたのではないかと思います。「おわりに」で著者は「ひたむきに生きてきた歩み、そして積み重ねた努力は、全て明日への準備だったのかもしれません。」と書かれています。
本書を読む限り、年齢を感じさせない著者は、特に、加齢を防ぐ配慮をしてきたわけではなかったようです。その時々を「一途、ひたすら、精一杯」に生きる、それだけでした。
- 作者: 稲川素子
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2009/11/26
- メディア: 単行本
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