著者は出版当時81歳。これだけの内容をこの年齢で書ける脳力に、まず脱帽。
学生さんに是非読んでほしいのは、議論の仕方に関する著者の見解です。
ギリシャの昔から、ヨーロッパでは言論は力です。以下、著者はアリストテレスの文章を次のように引用しています。
「弁論術とはどんな場合にでも使用可能な説得の手段をみつける能力である」
「言論による説得には三つの種類がある。第一は語り手の性格に依存し、第二は聞き手の心を動かすことに、第三は証明または証明らしくみせる言論そのものに依存する」
この第三について著者は「真実の証明が見つからなくても、真実らしく見えるものを持ってくればいい。それを証明として用いて、自己の正当性を主張せよ、相手を説得せよ。」と解説しています。ここでまず「え?」と思う学生さんが多いと思います。
「対等の議論、討論では、遠慮せずに攻撃すべきだ。攻撃の材料が少々間違っていてもかまわない。(こちらが正しい)と自らに信じさせつつ、攻撃に徹する。」(133頁)
「相手の言ったことに異議があれば、すぐに反論する。直ちに反論することが大事である。どう反論するか、その中味がすぐに考えつかない場合には、「私はあなたの意見には反対です」とだけ言い切って、時間を稼ぐ。そして?反対?の中味を急いで考える。その中味が正しかろうが、正しくなかろうが、かまわない。「まず反論ありき」である。そして、相手を攻撃する。まさに、「攻撃は最大の防禦なり」である。」(212頁)
「もし相手との対立を貫き、勝ちたいのであれば、相手の弁論に強く反論し、それを攻撃に転じる。相手の弱みを推測して、それを衝く。見つからなくても、滅茶苦茶なことをわざと並べると、相手は多少混乱し、「違う、違う。あなたは私の論点を理解していない!」とバランスを崩すものだ。」(216頁)
いかがですか。日本でこれをすると浮いてしまうと思いますが(専攻会議で時々やってしまって、ここは日本だったと反省することしきり)。
また下記は私自身、高校のディベートのクラスで体験したことです。
「クラスを二分して、ディベートもする。例えば、「神は存在するか?」をテーマとすると、A側は「しない」、B側は「する」と分ける。B側は「神は存在する。なぜならば・・・・・」と理由を説明するのに対し、A側は、「神は存在しない。なぜならば・・・・・」と反対する。そして、驚いたことには、次にAとBを変えてしまうのである。こうすると、自分の信条などはどうでもよいことになる。キリスト教の熱心な信者でも、そのディベートの場では、「なぜ神は存在しないか」を説明しなければならなくなる。どう信じようと、どう感じようと関係なく、言語を操る技術の問題が、焦点になってくる。」(207頁)
国際社会は日本とは違い、日本でのやり方は全く通じないことが理解されると思います。
「日本人の美質が生きるのは、主に友好的な環境の中においてである。対立的な場においては、それらはすでに述べたように、弱さとも欠点ともなり得る。」(101頁)
だからと言って、日本を欧米のようにしようと思うのは愚かなことで、著者はそれについても随所で言及しています。たとえば、
「日本の格差は、諸外国ほどひどいものではなかった。『万葉集』の作者は、貴族ばかりではない。諸天皇や王族たちに交じり、東国出身の兵士たちである防人や庶民の歌も選ばれている。これほど平等性の高い文化を築いた日本は、稀有な国である。」(258頁)
「多くの日本人にとって、受験などを除けば、英語力を向上させる真の必要性はなかった。外国語が必要言語となるのは、植民地化されたとき。」(115頁)
- 作者: 加藤 恭子
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