父・西條八十の横顔

2007年10月に逝去された西條八束先生の最後の著作です。西條八十という名前を知らない方でも、「かあさん お肩をたたきましょう」で始まる肩たたきの歌や、「てんてん手鞠、てん手鞠」で始まる鞠と殿様の歌を知らない人は少ないでしょう。西條八十はその歌詞を作った詩人です。
本著は未完であったため、長女の西條八峯様が編者として後を引き継がれ、今年7月出版になりました。
「編者そえがき」から引用します。
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倒れる数日前まで、いつもと同じように会合に出席し、語学講座に通い、ワインを楽しみ、自分のスタイルで歩きとおした父西條八束でした。名古屋の家のパソコンには、おびただしい量の文章が遺されていました。十年以上にわたって何度も書き改められた「父西條八十」の草稿です。
「僕は科学者だから」
常に実証的でありたいと願った父らしく、集めた資料から、なんとか大きな流れを作り出そうとしたさまざまな試みの跡が偲ばれました。湖水のフィールドワークでデータを集め、論文を書くように。
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本当に。たとえば光合成や呼吸など生物活動で出入りする炭素という元素の循環を鍵に、先生は湖での生物・非生物のつながりを解明されました。この本で先生は、第二次世界大戦参戦、原爆、敗戦、復興と激動した昭和という時代を、「西條八十」という鍵をもとに描かれたように思います。
アマゾンの書評でも書かれているように、昭和を伝える貴重な写真が、豊富に掲載されています(全307頁の半数近くが写真入りです)。

父・西條八十の横顔

父・西條八十の横顔

追伸:
本著の「おわりに」に西條八峯様は、西條八束先生のインタビュー記事を掲載されました。その最後のメッセージは「科学者の責任」でした。
「事業者が一方的な説明で事業を進め、環境を壊していくのは許せません。科学的な根拠をはっきりさせたうえで、間違いがあれば正していくのが、自然科学者の責任なのです。」
今日では事業者は国や自治体に限りません。特に自然再生に関わる事業は、住民と共同で進めることが望ましいという観点から、市民団体の意見が事業を左右する場合があります。また市民団体だけによる自然再生事業もあります。誰が事業者であっても、科学的に間違いがあれば正していくのが自然科学者の責任なのだと、それが西條先生が環境に関わる科学者に遺された規範です。
私がアサザ基金の活動に対して「粗朶消波堤を作ってアサザの植栽を行うのは霞ヶ浦の自然破壊」と科学者として指摘しているのは、間違いがあれば正していくのが自然科学者の責任だからです。
ところで私は、東大入学時には文科三類でした。UNEP(国連環境計画)に就職しようと思っていました。しかし、環境を本当に守るには自然科学の知見が不可欠だと悟り、理学部地理学教室に進学し、西條先生に出会いました。