もう一つのヒバク 携帯電話基地局の健康被害

化学物質問題市民研究会の会報「ピコ通信」164号に「もう一つのヒバク 携帯電話基地局健康被害を考える」との記事がありました。私が住む地区でも近くに携帯基地局ができそうになり、自治会をあげて反対し阻止しました。この記事を読んで改めて、阻止してよかったと思いました。
一部を抜粋します。

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2005 年○○○基地局稼動後すぐに、住民には色々な症状が現れた。不眠、頭痛、頭鳴、耳鳴り、嘔吐、吐き気、めまい、血糖値・血圧の急上昇、不整脈、一過性脳虚血発作、バセドー氏病、てんかん、こむらがえり、皮膚のかゆみ、白内障前立腺がん等々。入院4人、手術2 人、死亡1 人。
基地局に一番近い、死亡されたA さんは当時70 代初め、兼業農家の主婦でハイキングをしたり、元気な人。基地局稼動1 ヶ月後の2006年1 月、入浴中に倒れ、救急車で病院に運ばれ、検査を受けたが、原因は不明。同年3 月、立ちくらみがひどく、水ものどを通らず嘔吐が続き、脱水症状になり入院。検査を色々しても原因は分からずに、1 週間後に退院。自宅に居ると調子が悪いことに気づき、できるだけ家を離れる日々を送る。2008 年1 月、再度風呂場で倒れ、死亡。脳梗塞との診断。
住民は様々な取り組みを行い(学習会、署名活動、住民アンケ−ト、地主(△△バス)への陳情、市議会への請願活動など)、2007 年5 月には、大阪簡易裁判所に「基地局稼働停止と健康被害慰謝料」を求めて、○○○と基地局建設地の地主である△△バスを相手に調停(公害調停)を申し立てる。1 回目の調停で、地主は「住民の反対がある場合は貸さない」という条件に○○○が違反したので賃貸契約を解除すると申し出る。
同年12 月に○○○は「2008 年4 月中に電波をとめ、6 月中に撤去する」と表明。
それまで持たない人がいるかもしれないから、1 日も早く停波をと2 回、3 回と調停を続けるも、○○○は譲らず。A さんは停波に間に合わず死亡。
2008 年4 月3 日、基地局が稼動後、子どもの機嫌が悪くて困り果てていた女性から「電波、お昼前に止まったでしょう。うちの子、急に機嫌がよくなってケラケラ笑って弟と楽しそうに遊びだしたのよ。何年ぶりかしら」と電話。機械室を見に行くと、メーターが止まっていた。翌日、市から4 月3 日午前11 時に停止したと報告。
ひと月も経つと住民は体調が回復し、3ヵ月後にはほとんどの人が元の生活に戻る。
携帯電話は個人に選択の自由があるが、基地局周辺住民は家を捨てて逃げない限り、強制的に被曝させられる。自分の環境は自分で守るしかない。