もう自然再生事業にだまされないために

アサザ基金を好意的に見る人は、「アサザを植栽することで、やがて霞ヶ浦の生態系が再生する」「アサザという植物を絶滅から救った」と評価しています。本当でしょうか。
ここではまず「アサザを植栽することで、やがて霞ヶ浦の生態系が再生する」が正しいのかを検討します。
再生すべき霞ヶ浦の生態系とはどういう状態でしょう。霞ヶ浦では、日本の他の平野部の湖沼がそうであったように、1950年代半ばまで、生態系の基盤である一次生産者は沈水植物でした(「里湖モク採り物語」参照)。また霞ヶ浦では戦前からアオコが発生していますが、懸濁物を食べる二枚貝がたくさんいたこともあり、今日のようにひどくなることはありませんでした。
霞ヶ浦は、琵琶湖や宍道湖同様、広くて砂が供給される湖です。そして琵琶湖や宍道湖では波当たりが強いため、湖岸の大部分に抽水植物(ヨシなど)も浮葉植物(アサザなど)もない、砂浜が広がっていたことが分かっています。霞ヶ浦アサザ再生事業が行われた場所は、地形や聞き取り調査の結果から、かつては二枚貝が住む砂底でした。少なくとも浮葉植物が安定して群落を形成していた場所ではありません。
大きな湖の岸は、海岸と同じと考えるべきでしょう。海では河口など限定されたところにヨシ原が発達しますが、砂浜の背後には生えません。目に見えない水深1m以上のところに沈水植物のアマモがあります。アマモがない砂地には、たくさんの二枚貝が住んでいます。こういう状況を見て、「陸から見える植生がないから再生すべきだ。」とは誰も言いません。なのに霞ヶ浦では、陸から見える植生(抽水植物や浮葉植物)を生やすことが「再生」であるとされてしまったのです。陸から見える植生があるのが当然とする誤解を、私は「植生教」と皮肉っています。
下の図にあるように、霞ヶ浦では沈水植物がかなり減ったとされる1972年時点でもまだ74780アールと、沈水植物が水草の大部分を占めていました。それが1997年にはゼロになったのです。再生すべきは沈水植物であったはずです。そしてタナゴなどの産卵場所ともなり、アオコなどが異常増殖するのを防ぐ、懸濁物食二枚貝を増やすことであったはずです。

「も う ダ マ さ れ な い た め の 『科 学 』 講 義 」という本で霞ヶ浦の事例が取り上げられています。そこで筆者は、「私がこの場所を見に行ったのは2008年の夏ですが、順調に生態系が回復しているという印象を持ちました。」と書いています(61頁後ろから4行目)。これは、「植生教」信者が主張する再生像を正しいとすれば、という前提が入ります。沈水植物は全く回復しておらず、二枚貝がほとんど見られない現状のどこが、「生態系」の順調な回復なのでしょう。
霞ヶ浦の沈水植物と二枚貝はなぜ衰退したのでしょう。水位変化や護岸工事は、二枚貝や沈水植物にはあまり影響しません。富栄養化も原因ではありません。宍道湖では富栄養化によってシジミの生産が増えています(餌が増えるのですから当然です)。私たちの研究によって、沈水植物が平野部の湖沼でほぼ一斉に衰退したのは、除草剤使用が原因であったことが分かっています。であれば、現在生えていない理由としても除草剤を視野に入るべきでしょう。
宍道湖や琵琶湖の砂浜に馴染んでいる方は、霞ヶ浦の砂浜に貝殻がほとんど無いことに驚くと思います。宍道湖や琵琶湖でも、シジミの減少が問題になっています。しかし霞ヶ浦ほどではありません。霞ヶ浦の湖岸には、ほとんど貝殻がないのです。それがどれほど異常な事か、もしかしたら琵琶湖(子供の頃は「海水浴」と称して琵琶湖に通い、40歳で琵琶湖賞を頂いてからずっと見ている)、宍道湖(20歳から30年以上見てきた)、霞ヶ浦(1990年からずっと見ている)を全部見てきた私ぐらいしか、気づく人がいなかったのかもしれません。
霞ヶ浦で特異的に、何かが起こっている可能性があります。いったい何が起こっているのかを明らかにすることこそが、霞ヶ浦の自然再生には不可欠なのです。
「も う ダ マ さ れ な い た め の 『科 学 』 講 義 」の筆者はローカルな知の重要性を指摘し、アサザ基金が住民に聞き取りをして、昔はそこに何があったのかを確認したと書いています(61頁7行目)。私たちも同様に住民の方々に聞き取りをしたのですが、それにより明らかになったことはアサザ基金とは全く別物でした。霞ヶ浦を含む全国の平野部の湖沼で、沈水植物を肥料藻として刈り出すことで富栄養化を防ぎ、藻を適度な密度にすることで多様な魚の住み場所も造るという里山的な営みが、1950年代半ばまで行われていたことが分かったのです。
なぜこのような差が生まれたのか。場の現象を総合的に把握する地理的な視点や水界生態系に関する基礎知識がアサザ植栽事業の主な当事者(保全生態学者を含む)に乏しく、「植生教」の先入観にとらわれていたからでしょう。さらにこれらの方々は、詭弁を弄して地元の科学者の指摘を一切受け入れない、環境保全を進める上で非常に問題のある態度を貫いてきたことも原因だと思います(例えばこの新聞記事常陽新聞2002年.pdf 直)。

里湖(さとうみ)モク採り物語―50年前の水面下の世界

里湖(さとうみ)モク採り物語―50年前の水面下の世界