自然はどこかで実験してくれている

懸濁物食性二枚貝は水質浄化に寄与する、サンゴ礁では窒素固定が卓越する、日本で沈水植物が衰退した原因は富栄養化ではなく除草剤使用である等々、私が発見してきたことは水界生態系を考える上で結構重要な事で、海外の知人は私を生態学者だと思っています。でも私は、日本では生態学会には入っていません。専門は地学です。
日本では地学こそが生態「系」を理解できる唯一の学問だと思うことがあります。地学は必ず現場を見るからです。これに対して一部の生態学者は、アサザは根から酸素を供給するから湖底は貧酸素化しないなどと、現場を全く見ずに絵空事を主張します(この方は特殊なのかもしれませんが、生態学会の重鎮である以上、ある程度の科学リテラシーはあって当然だったと思います)。
かなり昔に「地質ニュース」に書いたエッセイですが、私の現場観はこれに尽きるので、多少縮めてご紹介します。

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汽水とは海水と淡水が混じった状態の水を意味する。河川の河口部や沿岸の潟湖など、陸域から流入する物質が集積する場であるため、富栄養化が起こりやすい。欧米の先進国でも事情は同じで、エスチュアリーと呼ばれる大河川の河口域では、かねてから研究が盛んに行われてきた。
私が初めて宍道湖・中海に出会った時、これは素晴らしいフィールドだと感じた。潮位の日変化や季節変化が数10cm以内と極めて小さく、そのうえ潟湖としてある程度閉じた環境にあるため、宍道湖は海水の10分の1程度,中海は場所によって海水の半分程度から海水程度の塩分でほぼ安定している。欧米のエスチュアリーは、たとえ勾配が緩やかとは言え、河口は河口である。塩分は1日のうちでも相当変化する。その為、どのような塩分にどのような現象が対応するのか、明確な関係がなかなか見えてこない。レビューの段階でそのような状況が予め分かっていた。
私はこの地の利を生かして、塩分と堆積物中の有機物や生物等との関係を明確に示すことができた。例えばメイオベントスと呼ばれる1mm未満の小さな底生動物。この動物のサイズは、海産種が汽水域に進出すると小さくなる可能性が指摘されていたが、現場ではそのようなことは無いと報告されてきた。私の論文で、エスチュアリーでは塩分が安定していないためにそのような現象が見つからなかったこと、塩分が安定している汽水域では予測通りの結果になっていることを証明することができた。
汽水域で塩分が安定していると、もうひとつのメリットが生じる。その浸透圧に対応できる特定の底生動物が、バイオマスを独占することである。これまで物質循環において、底生動物の役割は正当に評価されなかった。なぜか。現存量を正確に算出できなかったからである。数十種類もの動物がいるとそれぞれに生活史も異なるため、現存量の算出は、1種類の時の手間の数十倍以上の困難さとなる。ところが、例えば宍道湖ではヤマトシジミという二枚貝が、貝殻を除いてもバイオマスの97%以上を占めてしまう。底生動物の影響は、この1種を見れば事足りる。
環境はどう変わるのだろう、生物はどのように対応するのだろう。古環境や進化のみならず、現在の現場での環境や生物への人為的な影響であっても、実験室で再現することはほとんどできない。この実験できないという特性が、実験できる分野の自然科学者からは胡散臭く思われる事があるようだ。しかし私は、誰でもやろうと思えば実験できる分野には魅力は感じない。自然はどこかで、私たちが知りたいことをこっそり実験してくれている。それをどう見える形にするか、合理的に納得できる結論を引き出すか。そこにこそ魅力を感じている。