明日がなくても悔いはない

今週は、私より若い方お二人が亡くなっていたと相次いで知りました。お二人とも働き盛りでした。
私が20代の頃に、同年代の知人が相次いで亡くなりました。お一人は白血病で、ご自身は死期が近いことを知りながら、キャンパスで会ったときにはそんなそぶりを見せませんでした(後になって偶然読んだ本で、先輩が既に覚悟されていたことを知りました)。もう一人の方は結婚して間もなく、潜水作業をして浮上したところを、不注意に侵入してきた船にひかれて亡くなりました。
「そうだ…この世界は…はかなく、理不尽なんだ」と思いました。だからこそ、明日が必ずあるとは思わない。かつ、自分が生きている限り、理不尽は許さないと思いました。それはおそらく幼稚園から小学校低学年で、今から考えても私には全く落ち度がなかったのに教員からいじめられていたことなど、いろいろ理不尽なことが20代までに数々あったからだと思います。
明日にも死ぬかもしれない不確かなこの世界で、自身に誇りを持てないことを敢えてすることは愚かだろう。そのために孤立するかもしれないし、その孤立が永続するかもしれないけど、一方で孤立の原因となった相手が突然死するかもしれない(死なないまでも病気になるとか、事故にあって職場に来れなくなるとか)。もちろん自分だって、突然死するかもしれない。
全てが不確かなら、せめて自分自身は裏切らない。そんな生き方がやはり最良だろうと、お二人の訃報に接して改めて思いました。学生の安全よりも教員の保身を優先するような人たちに、私は決して迎合しません。