昨日ご紹介した「科学者という仕事ー独創性はどのように生まれるか」の27ページには、下記の記載があります。
「『分かる』という過程には、少なくとも二つの異なるタイプがある。一つは、説明の過程を意識的かつ論理的にたどって、結論に達する場合。もう一つは、ほとんど瞬時に、『こうすればうまくいく!』という直感(ひらめき)がはたらく場合である。(中略)こうした『ひらめき』のしくみは、脳科学ではまだほとんど解明されていないので、意識的思考とどのように違うのかはまだ分からない。意識に上らないだけで、脳では膨大な計算が行われているのかもしれない。」
私は上記2タイプで言えば「ひらめき」タイプです。東大の数学の入試問題も、問題を見ただけで答えは分かったのですが、そこまでどう説明するかは脳に聞きつつ遡るしかないので、答案用紙の一番下に最後の解を書いて、下から上に解答を書きました。脳脊髄液減少症になって一番困ったのは、この「ひらめき」が全く機能しなくなり、ゆえにオリジナル論文が書けなくなったことでした。
人の脳はおそらく、無意識の領域の方が意識領域より遙かに広く深くいと思います。そして無意識の領域は寝ているときでも、解を探し続けています(「思い」の深さがその効率を左右すると感じています)。上記の文章の「意識に上らないだけで、脳では膨大な計算が行われている。」は、脳科学で是非解明していただきたい仮説です。無意識脳の合理性が証明されれば、知的労働の在り方が一変すると思います。
特に身近な水環境問題については、言語から得られる情報だけでなく、現場で五感から得られる情報が無意識の領域で総合される方が、はるかに合理的な解が得られると思っています。だから私は学生に「仮説を立てる前に論文は読むな。」と言ってきました。そんな暇があればまず現場に行け、と。現場に行って先入観無く五感を働かして情報をインプットすれば、脳の無意識の領域は必ず解を導き出します。論文を読むのは、その解を意識の領域に転送してからで十分です(その解が既に指摘されているかどうかの確認、など)。