高校2年で東大文科三類を受験したときにロシア語クラスを選択した理由は
1)チャイコフスキーが音楽家の中で一番好きだった(次はシベリウス)
2)他の欧米の言葉は高校2年で留学したアメリカでラテン語を取ったりして何とかなると思ったけど、ロシア語はさすがに当時のアメリカの高校で学べなかった
の2点だけでした。いかにも私らしく極めて単純!
1970年代後半にロシア語を二語に取るなんて東大では本当にマイナーで、例えば私のクラスは13人しかいませんでした。
ところがその唯一の女性二人が、今はそろって東大教授なんです。1クラスの女子学生全員が東大教授になるなんて、おそらく東大史上空前絶後でしょう(しかもひとりは文学博士、もうひとりは理学博士なんて、未来永劫ありそうにない)。そしてもう一人の女性教授は「それでも日本は戦争を選んだ」で有名な加藤陽子教授です。
数年前からなぜか私はバイカル湖に行かなければと思うようになって、その際に全く文化の違和感を感じなかったのは、東大教養学部のときにロシア語クラスにいたからだと思います。
運命って、あるのかしら?
(追伸)私はなぜ「理学」博士なのか?
当時の東大は文科三類から理学部地理学教室に進学できたのです。制約として理系からの志願者が定員を割ったとき、という感じの条項があったようですが、なぜか(?)、私が志願したときは定員が1名増えていて、めでたく文系から理転できたのでした。
規則とは、例外を作るためにある?