国立大学工学部建築学科で助教授をしていた森博嗣氏は37歳で作家デビュー、その後大学を辞し小説家として稼ぐ印税だけで生活しています(「作家の収支」より)。
なぜ37歳で小説で稼ごうと思ったのか、「小説家という職業」にこう書いています。
1)研究の最前線から一歩後退せざるを得ない年齢だった。
2)大学の雑用が増え、研究がさせてもらえない。その不満が多少あった。
3)快適な住まいを手に入れて、書斎でデスクに向かう時間が持てるようになった。
4)子供達があと10年もしたら社会人になる、という未来がほぼ見えてきた。
5)自分の趣味のプロジェクトをそろそろ展開させたいが、場所も資金もなかった。
この箇条書きの前にはこう書かれていました。
「仕事はもの凄く忙しい。土日も休むことはなかったし、毎日最低でも12時間は勤務していた。ただし、残業をしても大学の教官は管理職と同じで残業手当は一切つかない。いくら働いても給料は同じ。」
同じ本で彼はこうも書いています。
「小説家は普通の仕事とは違う。小説は創作であり、すなわち『自由さ』が売りものなのだ。小説家ほど自由な職業はないし、自由を拠り所とする人種はいない。僕が知る範囲では、研究者も自由であるべきだが、残念ながら、純粋な研究者という職業が現代社会では成立しない。」
たぶんこの方は、日本の大学が自由に研究ができるところ(もちろんデタラメな研究でもできるという意味ではなく、理不尽な理由で束縛されないという意味で)であれば、また国立大学准教授の給与が業績を正当に反映するシステムで査定されていれば、研究者をやめることはなかったかもしれないと思ったりします(大学では筆頭論文がゼロでも教授の給与が下がることはありませんが、産総研なら業績に応じて給料が変わります)。
私自身は産総研(旧工業技術院)に16年間勤務してから東大に教授として移ったのですが、大学とはこれほど研究ができないところかと唖然としました。今はクロスアポイントメント制度を使って産総研のリソースを使わせていただき、かつて正規職員だったときほどではありませんが、雑用より研究の時間を確保するようにしています。
森氏は1957年生まれですが、その方が37歳の頃から大学は既に「純粋な研究者という職業が現代社会では成立しない。」と諦めてしまうような環境だったわけです。いわんや今の日本の大学は、世界の大学ランキングで順位が下がり続けるのは当然と言えるでしょう。
国立大学を含め日本の大学に未来はないし、若者が行っても得ることはほとんどない。4年という時間と学費を使うよりは他のことをした方がよい。また研究をしたいなら少なくとも大学よりは旧国立研究所に勤務する方がはるかにマシだと思います。