東京には空がない

表記は智恵子抄のフレーズとして有名ですが、羽田から離陸する度に、私は別の意味でそう思ってしまいます。
初めて「空がない」ことに気づいたのは、1960年代半ば以降のある日、従姉妹の家がある奈良県の生駒から大阪の自宅に車で帰る際、生駒山の上から見た大阪は、灰色のスモッグで覆われて市街地が全く見えませんでした。
1980年代前後から東京で暮らすようになりましたが、この頃もまだ、空はかすんでいて、台風直後の空の青さに驚いたものでした。
改めて1941年に出版された智恵子抄を読むと、「どんよりけむる地平のぼかし」とあり、もしかしたら当時既に、これほどではないにしても、東京はスモッグにおおわれていたのかもしれません。
因みにこのスモッグには窒素酸化物が含まれていて、秩父あたりで硝酸の雨となって地上に降りてきます。なので秩父の山の上の小川の硝酸濃度は、霞ヶ浦以上です。花粉の季節に秩父に調査に行くと症状が劇的に悪化するのは、花粉の量もさることながら、このスモッグと混ざった空気のせいではないかと思ったりします。就職先は絶対に都内だけは避けたいと思って「つくば」にしたのは、「つくば」の魅力に加えて、地震が確実に来ることと、このスモッグの為です。

智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切つても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。

高村光太郎 「智恵子抄」より