地質標本館 2018年度 春の特別展「関東平野と筑波山―関東平野の深い地質のお話―」

西の富士・東の筑波と並び称される筑波山は、なぜあんなにも目立つのか?。そういった筑波山の秘密を、関東平野の地下地質と関係付けながら解説する特別展示が地質標本館に設けられます。
また、4/21(土)にはこれに関連した科学技術週間特別講演会(「関東平野を作り上げた川と海」「縄文時代霞ヶ浦周辺の環境と貝塚」)も行われます。
詳しくは下記をご覧ください。
https://www.gsj.jp/Muse/exhibition/archives/2018/2018_spring.html
(追伸)
常陸国風土記には、筑波山と富士山の関係について、こんな記載があるそうです。この頃は富士山は火山と認識されていたのでしょうか。いずれにしても、少なくとも常陸の人にとっては、我が筑波山こそが神様から守られた随一の山と、誇りに思っていたのでしょうね。
「神祖(みおや)の神が諸神のもとを巡る途中で、富士の山に着いた。宿を求めると、富士の神は新嘗(にいなめ)の物忌みを理由に断った。これを恨んで神祖は、この山は年中雪霜が降っていて寒く、それに登る人もなく供物もないとののしった。次に筑波の山に行くと、筑波の神は新嘗の夜にもかかわらず歓待してくれた。神祖の神は喜んで、歌を詠んで祝福した。それでいまでも、富士の山はいつも雪が降っていて人が登ることもなく、反対に筑波の山は人々が集まり歌舞飲食が絶えないのだという。」
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