この生態学者が霞ヶ浦の生態系を破壊した

霞ヶ浦でしかアサザは実生ができないとか、水位操作によってアサザが衰退したなどと、いい加減な論文を書いて霞ヶ浦の湖岸生態系を破壊した生態学者が、「『アサザ』で検索してここ数日の話題が少し見えた。一番驚いたのは『もともと霞ヶ浦には無かったんでしょ?』という意見。山室氏の書いたもののうち、もっとも単純な間違いがかなり流布していることにも驚いた。」とツイートしていました。
この人、「アサザ霞ヶ浦でしか実生ができないというのは間違いですよ、ちゃんと琵琶湖に流入する水路に2型ありましたよ。」と伝えていたのに、その後に開催された陸水学会で「霞ヶ浦でしかアサザ保全できないから、あの緊急対策は意味があった。」などとヌケヌケと話したので、師匠だけではなく本人も自分の想像したストーリーでデータを作ってしまうタイプの研究者だと気づきました。
そもそも霞ヶ浦は、逆水門が運用されるまでは汽水湖だったんです。今の宍道湖アサザが生えていないように、少なくともシジミが採れていた塩分範囲には生えることができなかったはずです。1960年以前のアサザの標本も、湖内で採集したと明記されているものは皆無です。宍道湖でも周辺の淡水の用水路にはアサザが生えていますから、周辺の用水路で採集した可能性が十分あります。以上については下記の論文で報告しています。
保全生態学研究「アサザの生育環境・花型・逸出状況と遺伝的多様性に関する追試」
また1947年に米軍が撮影した航空写真をみると(画素数が小さいものは国土地理院のサイトで無料で見れます)、そもそも浮葉植物が繁茂していたのは北部の湾奥の一部です。琵琶湖もそうですが、大きな湖沼は波浪が強いので、奥まった波の穏やかなところでしか浮葉植物は生えません。
霞ヶ浦で最近まで大きなアサザ群落があった麻生でも、淡水化と護岸工事が行われるまではアサザは生えておらず、子供達がカラスガイなどを取っていた、二枚貝が多い砂地でした。下の写真のように、護岸工事以前は麻生には湖岸にヨシが生えているだけでした。赤で囲ったあたりに右側の写真では船溜まりがあることが分かります。これを作ったことで波が弱まったので、アサザが入り込むことができたのです。つまりアサザ霞ヶ浦を淡水化して護岸するという水ガメ化することで繁茂するようになった植物なのです。

ちなみに霞ヶ浦河川事務所は、この人物のおかげで地元の霞ヶ浦を守って来た住民が反対した工事をさせられたのに、今でもこの人物をアドバイザーにしているのが私には全く理解できません。長良川河口堰問題以降、生態学者と称する人の意見を聞かないとダメというルールになっているのでしょうか。でも、水界生態系を全て理解している生態学者なんているはずないのですから、少なくとも植物だけでなく動物の生態学者もアドバイザーにすべきだと思います。冒頭の私を侮辱した研究者ときたら、アサザ保全工事以降に霞ヶ浦二枚貝が激減しているのに、全く無関心です。
この研究者がいかに科学的素養が無いか、明日の記事で彼自身の論文を使って解説いたします。