中学生が回天に乗る予定だった

連休後半は昭和5年11月生まれの父を連れ、帝国海軍ゆかりの地を回っていました。初日は山口宇部空港からレンタカーで徳山に行き、大津島の回天記念館に行きました。
敗戦の色濃くなった日本は、志願兵の年齢制限を15歳まで下げました。父は帝国海軍に志願して兵隊になった最年少だと言われたそうです。
父は甲種飛行予科練習生(いわゆる予科練)でしたが、練習に使う航空機は既になく、「お前らは飛行機がないから人間魚雷に乗れ」と言われていたそうです。回天です。しかし父が予科練にいた頃は既に練習に使用する回天さえもなく、一度も練習せずに終戦を迎えました。回天で戦死した最年少は17歳でしたが、もう少し終戦が遅かったら、父が最年少の戦死者になっていたかもしれません。
回天記念館の展示物の中で、練習したこともなかった回天については、父は全く覚えがないと言ってました。しかし七つボタンの制服や短刀は、「俺が着てたのはこれや」と懐かしそうに見てました。短刀はきっと自決用だったのでしょうね。

f:id:Limnology:20190505221217j:plain