農業は科学

5月半ばに定植した春菊が、出張から帰ったらネキリムシに切られていました。臭いが強い植物なので、鳥除けネットの中なら大丈夫と思っていたのですが。。

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それで先週末に買ってきたオクラの苗は、ネキリムシにやられないようにトイレットペーパーの芯を差し込み、その中に植えました。そうしたら今度は葉を食べられました。食み跡の形からはスズメの仕業に見えます。昨年は食べられなかったのですが、味を覚えられてしまったようです。

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小さな庭でも様々な生き物が出入りしている上に、近年は気候も年々変わります。昨年成功した通りにすれば今年もうまく行くとは限りません。なので苗は時期をずらしたり場所を分散させて植えています。
人間が栽培種を作りあげた過程も、それぞれの風土における観察と実験を繰り返す、科学的な営みだったはずです。農家の三男坊だった父親は、自然環境について地質・土壌から植物、動物に至るまで、実に様々な知識を持っていました。それはすべて、実体験から得られたものでした。
そういう意味で現在日本で行われている農業は人間を人間たらしめた農業とは本質が違ってしまっていると同時に、科学も人間が共通して持っていた営みではなく、いびつなものに特化してしまっているように思います。