濱谷巌先生の標本と文献は長居にあります!

高校の恩師である濱谷先生は後鰓類(ウミウシの仲間)の分類で世界的に知られた方で、大学から何度かオファーがあったのですが全て断り、大阪教育大学附属高等学校天王寺校舎で生物学を教えておられました。
私の中学の成績は体育と家庭科と国語(書道が全くできなかった)が悲惨だったので、公立高校は内申書で無理と言われていました。それで受験したのが、内申書は関係しないと噂されていたこの高校でした。面接で濱谷先生から「サツマイモとかけて何と解く?」との質問があり、当時はサツマイモにアサガオを接ぎ木して育てていたので、その観察を踏まえて回答しました。50倍の難関を突破し入学したら、入学式の直後に中学から進学した生物部の方が「濱谷先生が来なさいと言ってます。」とやってきて、生物部の部室に連れて行かれました。
「やぁ、待ってたよ。生物部に入らないか?」窓際の水槽でミズクラゲが泳いでいたのと、面接で面白い質問をされた濱谷先生に好感を持っていたので、即、入部しました。
いつだったか先生に、なぜ大学で研究に打ち込まないのか尋ねたところ、
「僕は君たちのような高校生に伝えたいことがあるんだよ。高校生にだからこそ、できることがある。」
先生の生物の講義では、先生が作成した資料が配られていました。一部は大学レベルの内容を教えておられたことが、本郷に進学して分かりました。動物発生学で全く同じ資料が配られました。ノーベル賞を受賞した山中氏は、私より1期下の後輩です(奥様は生物部の後輩だそうです)。おそらく濱谷先生から生物学を学んでいたはずで、基本をしっかり学んだことがノーベル賞級の研究につながったのではないかと思います。
濱谷先生から言われた、私の研究の原点になっている言葉があります。
「もし君が珍しいと思った生き物がいれば、必ず標本にしなさい。それが最後の1個体かもしれないから。君が採ることで滅びるようなら、それはその生物が生きていけない環境だから。」
私は先生のおかげで、同定をおろそかにして保全を説く、いわゆる保全生態学者達のイカサマを見抜けているのだと思います。
昨日、奥様からお手紙が届きました。
先生が集められた標本と文献を長居の博物館に保管してもらうべく、移行作業を進めているとのことでした。
お手紙に貼られていた切手はウミウシと大阪万博。きっと先生が集めておられらたものでしょう。今度、大阪に帰ることがあったら、長居に行って先生が集めた標本類を見てみたいと思います。その中には生物部が発見した新種の標本もあるはずです。

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