山室家の狐

我が家は旧三重県桑名郡多度町小山出身で、小山には「お伊勢に参れば多度にも参れ」と言われた多度神社と並んで、式内神社の小山神社がありました。
奈良時代以前の神社の多くがそうだったように、小山神社のご神体は「山」でした。一族が亡くなるとその山で焼いていたので、あたりには人骨が散在し、それが人の骨と知らなかった子供の頃は、肋骨をブーメラン代わりにして遊んでいました。
多度神社は山だけでなく立派な社があり、大晦日の夜から初詣に行き、帰りにコンニャクに味噌をつけただけのおでんを食べるのが習慣でした。レンゲが満開になる5月になると多度神社で、上げ馬が行われます。子供は五色の色紙で飾った竹で、神事に参加する馬のお尻を叩いて元気づけます。多度に生まれた男性にとって上げ馬神事に出るのは最高の名誉なので、インテリだった父もその日に備えて、裸馬を乗りこなしてました。
そんな感じで神社は身近な存在だったのですが、小山は本家が売って開発されたそうです。父はかねてより「退職したら多度に帰って、悠々自適の生活をする。」と言ってましたが、ある日「俺はもう、多度には帰らん。」と言って、持っていた多度の土地の権利を全て兄の子供達に無償で譲ってしまいました。恐らくこの時に本家が小山を売ってしまったのでしょう。
それからの父は、自分の墓も多度・小山はイヤだと思ったらしく、浄土真宗西本願寺の大谷廟に墓を確保し、母はそこで眠っています。
とは言え、家紋まで千木の紋である山室家が神社と全く縁がなくなるのはいかがなものかと思っていた私が多度神社の次に好きになったのが、松江にある城山稲荷神社でした。ラフカディオ・ハーンが愛したこの神社には実に様々な表情の狐像があって、松江に行くと毎朝ジョギングで、この狐たちに会いに行きます。
その城山稲荷神社で狐を奉納できると知り、前回、松江に行った際に申し込みました。宮司さんによると最高の位置が空いていて、そこに置いていただけるとのことでした。昨日、城山稲荷神社からの手紙が届き、その位置に設置頂いた山室家狐像の写真を頂きました。なんとも柔和な笑顔です。私の子供とその子孫達が、ずっと幸せでいられることを確信しました。

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