それでも「復興五輪」なの?

13日夜に福島県と宮城県で震度6強を観測する地震がありました。
10年前の東日本大震災のとき、つくばは震度6弱でした。
霞ヶ浦では橋が崩落、湖岸も崩れて、その後1年近くは至る所にビニールシートが貼られていました。

多くの店が壊れて休業、ようやく開店しても物流が滞っていて商品がありませんでした。高校卒業と大学入学を控えていた息子は卒業式・謝恩会が中止(高校の体育館も、謝恩会会場のホテルも損壊が激しかったため)、大学入学用のスーツを買いに行っても1着しか残っておらず、選ぶことができませんでした。3月末になっても運送会社が来られる状態になく、東海地方にある大学での新生活は大部分現地調達になりました。
あと1ヶ月で3.11から10年というときにまた震度6に見舞われた被災地の方々のご苦労を思うと、言葉もありません。あのとき私がつくばで経験したように、今後1ヶ月くらい、コロナがなかったとしても、日常とはかけ離れた生活が続くのでしょう。
政府は東京五輪を「復興五輪」と謳ってましたが、福島原発事故のおかげで未だ故郷に帰れない人もいますし、汚染水処理は全く目処が立っていない状況で復興なんてよくも言えたものだと思っていました。

そしてこの余震。名ばかりの復興ではなく、地元の方が本当に復興したと思えるようになるまで、五輪は延期してはどうかとも思います。どうしても「復興五輪」としたいのでしたら。