西條先生のお年玉

正午のNHKニュースをBGMにしようと早めにテレビをつけたら、名曲アルバムで西条八十作詞の「かなりあ」が千葉県鋸南町の海岸の映像とともに流れていました。「僕にはオヤジの歌が流れるたびに『お年玉』が入るのですよ。」と笑っていた西條八束先生の快活な声が聞こえたような気がしました。
西條八束先生はWikipediaの記載のとおり、水域の大型公共工事の在り方について様々に発言されていました。それらのほとんどは名古屋大学を定年退官されてからです。国内だけでなく、急速に水面が減少していたアラル海に自費で現状調査に行かれたりなど、精力的に活動されていました。むしろ定年後に活発に動かれるようになった気がして尋ねたところ、「大学にいると学生がいるという立場もあるし、雑用もあるし、自由に活動できないものなのですよ。」と言われました。自分が大学に移って、先生の言われていた意味がよく分かりました。
Wikipediaには「没後に『父・西条八十の横顔』が出版された」とありますが、研究論文も没後に出版されています。亡くなる直前まで研究を続けておられました。陸水学会には定年後も必ず参加され、学会や調査に飛び回っていた経費は、先生によればお父様からのお年玉で賄われていたとのこと。先生は学会にジーンズの上下を粋に着こなしてこられるダンディな紳士で男性からも憧れの存在でした。私は加えて、お金にとらわれずに自由に活動されている生き方に、とても憧れたものでした。
先生といろいろお話できたおかげで、私も定年後に好きな研究ができるようにと。資産形成を心がけてきました。先日、4年後の定年以降も工夫すれば研究を続けられるなぁと思っていた矢先に「かなりあ」が流れて来たのでした。研究を続けるだけでなく、陸水学って素敵な学問だと思われるよう精進しなければと改めて思いました。

西條先生は陸水学会を創設された吉村信吉先生の影響を強く受けていました。吉村先生も西條先生も、東大・地理の出身です。同じ東大・地理出身の私でないと伝えられないことが、きっとあると思うのです。
(追伸)
今の陸水学会は、吉村先生が目指されたものとはかなり違います。
そう思うのは私だけでなく、下記文章が参考になると思います。

日本陸水学会の歴史(3)