有機農業は重労働?

先日、有機農業の現場を紹介するテレビ番組を見ました。

私はそもそも「有機農業」という言葉が好きではありません。戦前、多くの農家が農薬や化学肥料を使っていなかったときの農業は、「有機農業」と呼ばれていなかったと思います。戦後、朝鮮戦争で必要な物資を日本で作らせるために、農業の近代化と称して農薬を使わせるようになり、大量の若者が第二次産業に就くことになりました。そういう流れを踏まえれば、「伝統農業」「本来農業」みたいな表現の方が適切ではないかと思うのです。

今の有機農業は英語の「Organic」をそのまま転用したのだと思います。だから、そもそも農薬を使う以前の日本ではどんな農業をしていたのだろう?という発想が乏しいのではないかと思います。

番組では野菜屑などの有機物を利用した土作りを紹介していました。切り返しはガソリンを使用する重機を使っていました。昔は重機なんてありません。牛や馬が重機でした。そして牛や馬の糞は良質な堆肥源でした。

太平洋戦争末期、父の実家は父を含め男子3名、女子3名。父の父は早くに亡くなり、父の母と父の祖父が成人でした。男子3名のうち長男は徴兵され戦後もしばらくシベリアで抑留され帰国できませんでした。次男は満蒙少年開拓団で満州に行き、そのままソ連軍に殺されました。中学生だった父と父の祖父だけが男手でしたが、父は志願してしまったので、終戦まで父の祖父と女手だけで稲作もミカン作りも自家製野菜も作っていたことになります。集落の他の家庭も、働き盛りの成人は徴兵されていたはずです。それでも農家は農薬も重機も使わずに農業していました。

番組では若い女性が除草作業をして「大変!」と言ってました。太平洋戦争末期、父の実家では小学生の叔母達、祖母、私のひいおじいさんだけで作業していたはずです。集落の他の農家も、青年は徴兵されていたからです。機械や農薬を使わない農業がそれほど重労働だったのなら、多くの成人が徴兵された太平洋戦争末期の農村では、十分な食料を生産できていなかったはずです。現実は、疎開する小学生などを受け入れていました(疎開児にも十分は食料を与えられてはいなかったかもしれませんが)。

終戦時に中学生以上の年齢だった人達は、今は90歳以上です。農薬が広く使用される以前、日本では各地の風土に合わせてどのように農業を行っていたのか。農薬漬け農業に疑問を持つ人がようやく増えて来たとは言え、急いで聞き取りをしないと、各地で引き継がれてきた貴重な知恵が失われてしまうのだと、この番組を見て思いました。

番組で有機農業を始めた若い世代は、その地でずっと農業をしてきて、今は農協などに指導されているから農薬を使っている古老の農家達に、昔はどうだったのかと聞く様子はありませんでした。。。