昨日・今日は、河北潟の能登半島地震による液状化状況を視察していました。
地域名では「石川県内灘町」です。ここでは通常思い浮かべる液状化に加え、地盤が低い方へ流れ出し「段差」が線状に延びる、まるで断層のような地形変化も起きていました。
上記記事は、「砂丘の河北潟側の裾野は、100年前の海と陸の境にあたる。ここが液状化し、傾きがあるから滑った。現在のそれよりかつての海面部側は、海底だったために平坦なので、液状化しても滑らなかった。」との説を紹介しています。だとしたら砂丘の日本海側の裾野はなぜ滑らなかったのでしょう?滑らなかっただけでなく、液状化さえ起こっていないのです。
さらには上記で「かつて海だった」ところを干拓するために作った干拓堤防は、「部分的」に沈降しました(800mとか300mとか)。上記説だと全体的に沈降するはずですよね。
遠方からぱっと来て、目に付いたところだけで判断するのは危ういですね。
今回の視察は水環境学会汽水域研究委員会が、地元の河北潟湖沼研究所に1月から研究支援を行ってきた一環でした。地元の方々が1月1日の地震発生以来、被害が起こっていない地域も含めて現場調査し、震災から半年以上経った現状も踏まえて案内いただきました。
たとえば「地震による液状化で2m以上沈下した」と報道された堤防は、下記のように修復作業を行った土嚢が沈下しています。つまり地震以降も沈下し続けているということです。左側が河北潟です。
そしてこの場所だけでなく、干拓堤防は地震発生以前からずっと沈下し続けていました。
実は、この干拓地が沈下することは「国営河北潟干拓事業」着工前に予測されていて、堤防沈下量の推定も行われていました(「河北潟総合研究」26巻に報告があります。お問い合わせはinfo@kahokugata.sakura.ne.jpへ)。
この場所の干拓地側は湧水が湧いていて、湿地状態になっています。水に適応できない樹木が枯れています。地震発生時の浸水だけでは、こうはなりません。
河北潟湖沼研究所はこれまでの調査結果から、内灘砂丘裾野部での被害の著しい差は過去の土地改変が、堤防被害の差は築堤方法との関係の影響が大きいと考えています(つまり人災の要素があるということです)。私自身、東日本大震災時の地元・霞ヶ浦で目撃した堤防被害との差から、それはあり得ると思いました。大潟村や宍道湖周辺の干拓地と比べても、河北潟干拓地とその周辺は様相が違うと感じました。