時代は巡る

出勤で乗った市バスに下記が貼ってあって、「入院中の桐島容疑者と名乗る人物が本人と分かれば、ここ(下段右端)だけ×印が一斉に入るのかなぁ?」と思って眺めてました。

帰宅したら「容疑者死亡のまま書類送検する方針」とのニュースが流れていました。

1969年1月、東大紛争安田講堂攻防戦(私は8歳)。翌1970年3月15日に開催された大阪万博、その月末に起こったよど号ハイジャック事件、三菱重工ビル爆破事件は1974年(13歳)。日本は、世界はどうなるんだろう、私に何ができるのだろう?何にしても世界を視野に生きるには英語は必須と高校でアメリカに留学、外交官になろうと帰国して高校中退して東大文IIIに入学(18歳)、駒場1年で履修した「大型計算機プログラミング」はフォートランプログラムをパンチカードで入力するもので、そのパンチカードは安田講堂の隅に設置、駒場から通った安田講堂の中心部まだ攻防戦で壊れたまま封鎖されていました。。

あの頃から早や半世紀。コンピューターだけ振り返っても学部入学時にはパンチカードでフォートランプログラムを入力していたのに、卒論の頃には直径50cm以上の磁気テープを大型計算機センターに持って行ってXYプロッターで相関図を描くなんて(おおがかりながら)はるかに省力化、博士に入る頃にはパソコンから自動タイプライターでWord文書をタイピングと飛躍的に進化。直径10cm以上ながらペラペラで軽いPC(パーソナルコンピューター)用ディスク、フロッピーディスク、MOディスクなどメディアは急激に進化し、OSもWindows、MacとPC用が進化。平行してインターネットが進化、爆発的にAIが進化と想像を絶する状況が続いています。

EXPO70とはおよそ別物になりそうな大阪万博とともに、桐島容疑者の一連のニュースに、ひとつの時代が完全に過去になったと感じました。もうすぐ定年になる私の生涯も、外部で目立つピークはもう過ぎたと思いたいです(いい加減、したいことだけしてゆっくり過ごしたい。。)。