もちろん研究はしてました。文科三類からの理学部進学は当時はレアケースだったので、数学や物理、統計学など、教養でパスした科目の独学は、学部から修士にかけて続きました。
一方で野鳥の会に入って鳥を見に行ったり、近所の公民館のお料理教室に通ったりしてました。代々木のジョギング教室にも通っていて、手賀沼マラソンを企画されていた今井様と出会って、マラソンを走るようになりました。院生室に積んであるコミック誌(ビッグコミックとかスピリッツとか)は必ず読んでました。工学部の西村研究室にも入り浸って、購入したクラシックのレコードを先輩に渡して、カセットへの録音をお願いしていました(その先輩が「貧酸素水塊」の共著者)。宍道湖淡水化反対署名活動もやってました。
食の安全に本格的に関心を持つようになったのもこの頃で、師と仰ぐ小寺とき様のお宅には、週2回、無農薬野菜を分けていただきに伺う度に、牛乳のこと、農薬や合成洗剤のことなど教えていただきました。低温殺菌牛乳を日本に広めるため、海外の著名な先生方に外圧をかけてもらおうと、東大農学部での国際シンポジウムを企画したのは博士課程の時です。ドイツ語ほど英語はできないとの小寺様に代わって、インビテーションレターを書いたり、当日の司会を務めたりしました(当時は交通事故前だったので、英語は全然OKでした)。同じ中野に黒豚の会の佐伯様もお住まいで、時々遊びに行っては、人は食材となる動物とどうつきあっていけばよいのかお話をうかがったりしました。
とても忙しかったけれど、したいことを存分にしていました。そして驚くほど全てが「次世代によりよい環境を伝える」という、仕事の目標につながっています。分野にもよりますが、環境については、若い頃から狭い範囲に突っ走ると総合的に考えることが難しくなると思います。
私は学生に「もっと研究に時間を使いなさい。」といった類の発言をしたことはありません。「もうちょっと効率良くやろうねぇ。」とは言いますけど。陸水ゼミも、他の研究室と比べるとかなり短時間で終わっていると思います。
陸水研では自分がしたいと思った研究をしてもらっていますから、やれと言わないでも、自分なりにベストを尽くしていると思っています。その上で様々なことに関心を持ち、よりトータルに環境を考える土台を学生時代に築いてほしいと思うのです。