学位論文の副査をした方から、ヒジキの伝統的な意味を明らかにした別刷りを頂きました。私の父親の里でも海藻食に伝統的な意味がありそうだったので、お礼次いでにその事を書いたら、関連情報を教えて下さいました。
父の出身地である三重県の山奥では、アラメと鮒の煮染めをお節料理にします。三重から岐阜あたりの伝統料理のようです。
http://www.pref.gifu.lg.jp/kenko-fukushi/kenko-iryo/shokuiku/shokuseikatsu/seino/1170.html
父の里の氏神は小山神社で、式内神社です。近くにある多度大社は、昔は「お伊勢参らば お多度もかけよ お多度かけねば片参り」と謡われた神社でした。
お返事によると、三重県鳥羽地方では伊勢神宮にアラメを奉納していて、海女潜女神社(あまかきづきめじんじゃ)では、アラメを神饌としているそうでう(現在はやっていないとのことです)。伊勢神宮とあわせて多度神社や小山神社にも奉納されていたか、神饌として使ううちに、お節料理に使うようになったのかもしれないと思いました。
また、富士山の北麓の河口地区はかつて神社を中心として「御師の街」として栄え(御師とは富士山へ信仰登山する参詣者に宿を提供し、祈祷を行った神職者)、その河口浅間神社の春の例大祭で、氏子の家庭で作られる料理を「めまき」と言い、川魚をアラメで二等辺三角形に巻き、楊枝を差して甘辛く煮たものだそうです。この形状が御師(装束に帯刀)を表していると言われているそうです。私の記憶では父の里のアラメ巻は筒状だったと思います。上記URLにある岐阜のアラメ巻も三角には見えません。しかし、神社を中心とした集落で食べられていた点が父の里と共通していて、興味深く思いました。
私の子供達は、鮒のアラメ巻きを食べたことがありません。小山神社も住宅開発で、山ごと無くなったと聞いています。日本の面影や文化が変わっていくのを寂しく思うのは、歳をとったということなのかもしれませんね。