変わる大阪、変わらぬ大阪

1970年開催の大阪万博では、数年前から建設が始まってました。寝屋川市に住んでいた当時はまだ高層ビルもほとんど無く、とても小さくですが、建造物が見えました。特に目立っていたのが、後に「太陽の塔」と分かったパビリオンです。今も当時とほぼ同じ姿で立っていました。岡本太郎氏の作品を見たのは「太陽の塔」が最初です。

撮影したのは大阪モノレールの万博記念公園駅からわずかに公園東口駅側の位置です。学会会場が阪大吹田キャンパスだったので、始発で座って行ける門真市駅のホテルに泊まって、往復「太陽の塔」を楽しむことができました(門真市駅は徒歩数分以内に、チェーン系ホテルが数軒あります。阪大での学会にはお勧めです)。
渋谷駅にある「明日の神話」は「太陽の塔」と同時期の作品だったそうです。

つくばに住んでいる今は、「明日の神話」は見に行きたくなったら気軽に行けるのですが、「太陽の塔」がある大阪には滅多に行きません。今回は久しぶりの大阪だったので、「夕食はお好み焼き屋さんで。」と思っていたのですが、門真市駅近くにお好み焼き屋はありませんでした。阪大卒の知人も梅田で探したけど見つからなかったそうです。お好み焼き屋は無かったがモダン焼き屋はあって、「ここは大阪だろう?」と憤慨していました。
タコが高騰しているのでたこ焼き屋はもう無いだろうと思っていましたが、なぜお好み焼き屋が消えたのか。。