2012年7月、ASLOが琵琶湖で開催されます!

いまニースで参加しているASLO Aquatic Science Meetingは、これまでにニースを含めて3回、アメリカ以外の国で開催されています。そして次の海外大会は4つの国が招致を申請していたのですが、昨日(現地の26日)のMembership Meeting (日本では「総会」)の会長報告で「2012年琵琶湖、日本」と紹介され、「大会委員長の山室教授は起立してください」と紹介されました。会場は満場の拍手で、目の前にいるBoard memberからCongratulations!と声をかけられて、さすがに嬉しかったです。
実は私は実質的な作業は全くしていません。大会委員長を引き受けた記憶もなく、B研究所のKさんから「手伝ってくれるか」と言われて、いいですよと答えたらいつのまにやら委員長にさせられたという、ちょっとそれはないんじゃない?という感じでした。それでも、招致準備委員会の方々、特に事務局長として実質的な仕事を一手に引き受けていたB研究所のKさんの努力もあって、無事開催になったことに感無量でした。
「お手伝い程度ならしてもいいです」と当初答えたのは、Kさんの「若い人たちに国際的な仕事を展開する機会を広く開いてあげたいから」という考えに共感したからです。もちろん今でも、個人的に海外にポスドクに行って、ネットワークを作って帰国する若手はいないことなありません。でもそれが当たり前になっていくきっかけになればと思ったのです。
ちょっとずれてるかもしれませんが、私が10歳のときに大阪で万国博覧会がありました。当時からアフリカでは飢餓で亡くなる子供がたくさんいました。そんな報道に自分は何ができるだろうと考えていた頃でした。そんな中、超大国アメリカとソ連、アフリカの様々な国だけでなく、世界のどのパビリオンでも英語があればコミュニケーションできることを目の前で見て、英語を普通に話せるようになりたい!と考え、さっそく親に頼んで英会話教室に通い、ラジオ講座を始めました。そして高校1年で留学試験を受けて2年でアメリカに留学し、帰国する頃には夢も英語で見ていました。以来、37歳の時の交通事故で脳をやられるまでは、TOEICの成績はnon-nativeランクでは最高の点でした。もしも万博がなかったら、そこまで英語を重視せず、また高校で留学することもせず、まったく別の人生になっていたと思います。
2010年度に修士に入学する(つまり来年度受験)学生さんだとD1の7月開催になるので、修論の内容を発表できます。現在学部3年以上で陸水学・海洋学を目指している若手の方々には、2012年7月開催のASLO BIWAに参加して、国際的なネットワークを作るきっかけを作っていただければと思います。